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生活

反戦の『声』を今こそ!!!

前回、第二次世界大戦の「独ソ戦」について少し触れました。お互いに絶滅させるまで戦おうとした史上最悪の戦争!! 

  

戦争とは、どれもこれも「悪」だが、その中でもこんな地獄はない。 

ヒットラーの命がなければ、撤退は許さない。逆らう者は、後ろの味方から撃ち殺される。ソ連も同じ逃げる者は味方が撃つ。こうして絶滅戦争は累々たる屍(しかばね)の山、山、山!!!! 

  

 ソ連2700万人、ドイツ830万人の大半が「独ソ戦」で亡くなったという。 

「集団の狂気」が怖しい。正常な感性なら逃げる味方を後ろから撃てますか? 

戦争の、集団の狂気は、いつも簡単に人を狂わせてしまうものなのです。 

  

 戦後ヒロシマでの被爆を隠して勤めないと結婚相手も見つからなかった現実を聞いて胸がつぶれる思いになったことがありました。陰口のように「アイツは、ピカドンだ。」と。 

  

また最近では、『3.11』のあと福島から他県に移住した小学生が「ヤイ、フクシマ」といじめられた話などは、枚挙にいとまがない。どうしてこうも、人は底意地が悪いのか!! 

  

 人間には元々、意地の悪い人が何%かは、どこにでもいるようです。弱い者いじめをするのが快感なのですね。 

それが、いつのまにか「上官の命令は、天皇陛下の命令を思え!!!」と、ケツを出させてバットで殴る。 

尻ではなく、尾てい骨を打たれて悶絶した話を聞いたとき、その理不尽さに身がすくんだものでした。 

その真似ごとが、大学生の体育会でもあったと耳にしたとき、人間の原罪を考えさせられたものでした。 

  

さてここに、中日新聞「発言欄」(令和元年831日)に投稿された三重県松阪市の中川よし子さん(主婦:71歳)の文章があります。そっくり載せさせて頂きます。 

  

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==原爆苦しみ続けた女性== 

広島で被爆したという八十八歳の女性の話を聞く機会があった。1945年(昭和20年)86日、爆心地近くにあったという女学校を体調不良のために、たまたま休んだ。爆心地から四キロほど離れた実家でもある神社にいた。 

女性によると神社の境内には性別が分からなくなった遺体が次々と運び込まれた。人の体の一部だというものもあった。あっという間に置き場所はなくなって火葬の火の番をさせられたと言う。 

しばらくして女性は女学校の周辺に行った。そこで娘を亡くしたと思われる級友の親からいきなり「あなたはなぜ生き残ったのか」「非国民」などとののしられたという。その親の形相はこの世のものとは思えなかったそうです。 

  

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以上。人間の性(サガ)というか、原罪を思い知らされます。 

我が娘を失って狂乱する母の向ける怒りの矛先は、戦争や戦争犯罪人に対してであるべきなのに、娘の同級生に向けられるとは。 

「あなたは、なぜ生き残ったのか」「非国民」などとののしる母のおぞましさ。やいピカドン。やいフクシマ。 

といじめるおぞましさ。そんな思いやりのない心が戦争を仕掛ける犯罪者たちの思うつぼなのである。 

  

集団の中にあっても、自由に生きる権利を主張できる姿勢を失ってはならないと思います。 

たとえ正義だ、正論だと押し付けられても、集団の前では「アレッ、この雰囲気は恐いな!!」と思っても言葉に出せなくなる状況が怖しいのです。だからこそ平和なうちに、戦争は絶対にしないと、もっともっと語り合っておく必要があると思うのです。 

  

話は変わりますが、最近監視カメラやドライブレコーダーが激増しています。犯罪防止や犯人逮捕に役立っているのは事実ですが、どこで誰が何をしているのか、が丸裸になったり、顔認証の違いから冤罪につながったり、といろいろ問題点も出てきています。 

  

 『情報を守るセキュリティ』の重要さは、ネット社会における最重要課題の一つになっています。 

個人情報を悪用しようという軍部や政治家が出ることが危惧されます。 

ある日気がついたら、がんじがらめの監視社会の中で、反体制の声があげられなくなったり、なんて事になっては大変です。 

 一人ひとりの人間が優しくとも集団になったときに抗えなくなってしまう一種の集団心理の怖しさを知って、重ねて申しますが、平和なときにこそ声を上げ、戦争をしない仕組みつくりに、もっともっと真剣に立ち向かっていかなければならないと思うのです。 

  

『新時代、平和を考える意義』と題した貴重な上映会が、令和元年622日に岐阜県各務原市(かがみはら)でありました。それに先立って、424日中日新聞に載った案内文が次の通りです。 

過ぎ去った情報ですが、埋没されるのは惜しい資料です。 

  

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 戦時中、軍事関連施設が集中していた岐阜県各務原市が爆撃された「各務原空襲」の様子を記録した映像の存在が、大分県の市民団体によって初めて確認された。各務原市は「地域のことを考える重要史料」として、空襲から74年となる6月に市民向けの上映会を開く。 

 確認されたのは、1945年(昭和20)6月26日に米軍のB29爆撃機が川崎航空機(現在の川崎重工業)岐阜工場を爆撃する47秒間と、7月15日にP51戦闘機が、旧日本陸軍の各務ヶ原東飛行場を機銃掃射する8秒間の2種類の映像。  

 いずれも米軍が戦果の判定に撮影した。太平洋戦争の映像資料を研究する大分件宇佐市の「豊の国宇佐市塾」が米国立公文書館(NARA)から入手した資料の中にあった。 

 宇佐市塾会員で調査を担当した織田(おりた)祐輔さんによると、映像には爆撃日時や場所などの記録はなかった。映像から見える滑走路の形状や線路など特徴的な地形から各務原への爆撃は6月22日と26日の2回あり、被害状況と照らし合わせ、26日の出来事だと確認した。この日は各務原で58人以上が犠牲になったとされる。 

 市教育文化財課によると各務原空襲で破壊された工場や、大戦中の格納庫の様子が確認できる貴重な史料という。担当者は「平和を考えるには、客観的な事実はとても重要。令和という新しい時代に、当時の映像を上映できるのは意義が大きい」と話す。 

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私 阿部一理もこんな地味な活動が大切に思います。 

以前にもお知らせ致しましたが、 

手元に『日本の都市を焼き尽くせ!!都市焼夷弾空襲はどう計画され、どう実行されたか』(税別2800円 注意1)があります。良くぞ集めた写真集!!! 

なぜ、再度お知らせしているのか、以前のご案内で入手したいとのご一報が少なく、また入手された方の感想も届いておりません。こんな事実を知らないでボーット生きていてはダメでしょう。 

 

■一家に1冊■ 

この本のP176以下は、昭和20814日~15日の熊谷、伊勢崎の小都市空襲の詳細です。終戦の玉音放送の10時間前まで空襲があったことに驚きを禁じ得ません。 

以下に一部抜粋します。その綿密さに驚愕します。 

そして、本当に終戦の815日直前まで、日本は焼き尽くされようとしていたことが分かります。一家に1冊備えて、目につくところに置いて皆で継がれて欲しいと切に念います。 

  

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 伊勢崎はレーダーで防御されていると考えられ、2機の特殊レーダー対策機が出撃した。攻撃機より先に目標上空に到着し、高度約18,000-18,500フィートを半径10マイル(約16km)の円を描きながら旋回し、72-84MHz帯および190-210MHz帯を帯域妨害するとともに、受信した日本軍の探照灯管制レーダーおよび射撃管制レーダーの周波数を点妨害する役割があり、電波妨害片ロープも搭載した。 

 都市の構造は、軽工業と住居地区からなる市街地と考えられ、E46とM47A2を、B-29の機数で、ほぼ1:1の割合で投下する計画だった。すべての爆弾について、投下間隔は25フィートに調整された。 

 米軍の記録によれば、熊谷空襲は815日の139分に、伊勢崎空襲は215分に終了した。ワシントンからマリアナのB-29部隊に爆撃中止命令が発せられたのは445分。平文になってグアムの司令部で読めるようになったのは、511分のことだった。 

  

『写真が語る日本空襲』(現代資料出版 税別2800円:注意2)も是非!!! 

  

※注意1:〒745-0121 山口県周南市須々方奥286-3 工藤洋三 

              E-mail:ykudo@bronze.ocn.ne.jp 

※注意2:現代資料出版/03-3590-5028 工藤洋三・奥住喜重編著 

 

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