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小川法慶氏 要約

小川法慶氏 講義録(昭和53年12月24日ヤマト食養友の会会館にて)

「易」とは?

易学の「易」という字は、変わるという字である。

貿易の易の場合は、換える、交換するという意味である。

運命というものさえも変える事が出来る「易」である。

易学は中国ばかりでなはない。

ペルシャ国やチグリス・ユーフラテス川のメソポタミア文明、エジプト文明も易学が根本になっていたと思われます。

易学を研究すれば、科学者は本当に素晴らしい科学の世界を開発できるし、また宗教に入れば、本当の最高の宗教の境地が判る。

素晴らしい健康をもたらすには、なによりも易学が根本である。

易学は大宇宙の原則

宇宙は永遠に動き続けている。

その証拠に「宇宙空間のもののうち一つとして割り切れるものはない」割り切れないところに永遠性がある。

例)夫婦の間でも、あまりにも割り切れてしまうとおわりになることがある。

反対のものが一つのもの

電気の陰電気と陽電気は、易学から出たものである。

不思議な事に、陰電気と陽電気はピッタリくっつく。逆に陰電気と陰電気は、全くくっつかない。

例)昼と夜は実は一つのものです。男と女も、真反対のものであるがゆえに一つものです。

あいつは憎いと思う人は、実は自分にとって一番愛すべき人。

逆に自分に楽しみを与える人こそ、実は自分に苦しみを与える人。

キリスト教の中で「汝の敵を愛せよ」とは、このことを言っている。

母親は、子供をはらみますと妊娠した時ではまだ母親と胎児は反対の性質を持つ。

それが成長するにつれて母親の体質の影響を受けて自然に母親に似てくる。

さらに「お猿さん」から「人間」まで成長すると分離して出産して、この世に出てくるのです。

ことばの意味とのそのヘンセイ

料理の「料」は。「米」と言う字「斗」と言う字から出来ている。

「斗」の字は「ます」と読む字。穀物類を量る斗がこの字です。

お米と斗と言う字を合わせて「はかる」という意味になっている。

また「理」というのは、ものごとの筋道ということです。

物事のすじ道をはかると言う事が「料理」ということであり、おかずを作ることが料理ではない。

本来は、ことわり「理」を料る。

「理」とは何かと申しますと、易の原理です。

易の原理をはかるということが「料理」である。

「人間を料理する」言う言葉は、すじ道にかなった人間に仕上げる事である。

宇宙の大きな流れに従って、川の流れを下る船に乗っているような生活をするなら順調な生活と言えますが、現在は、文明が進めば進むほど医学や栄養学が発達しました。

それなのに豊かになればなるほど人間は不幸になっているのが、現実です。

古(いにしえ)の高い技術

国学院大学の樋口教授によりますと「三十三間堂」は、千一体の観音堂が並べてある。

近畿地方で大地震が起きても倒れないのは、地盤の表面だけではなく下も硬いはずである。

昔の人の技術は素晴らしい。

日光の東照宮の左甚五郎の「鳴き竜」は、以前は竜が鳴いていた。

最高の数学は「勘」

日本の楽器「笙」は、管は竹で作っているが自分の耳で音感を確かめながら竹を削っていく。

料理にしても火加減とか水加減とか、最後は「勘」で計算する。

孔子の教育

2500年前の孔子が「人間を本当の人間に再生させる手段の中で最もつまらないものは、耳と目による教育」孔子の教育の根本は食物であり、音楽である。

音楽は、人間の心理状態を判断する一番いい基準である。

イ調が乱れたときに自然界に大異変が起こる、とも言われています。

食べ物は、季節外れのものは食べるな、魚を食べるときは裏返しにしない。

等、食事が大切なものだと説いている。

小川法慶氏

現今、陰陽「重ね煮」料理が少しずつ耳にするようになりました。

そもそも、これは小川法慶先生の発案でありました。

マクロビオティックの桜沢如一先生も大絶賛されたと、40年ほど昔ご本人から阿部一理は聞きました。

それはそれは博学な先生でした。

父と兄を医者に持ちながら、現代医学の矛盾と限界に幼いころから気付かれ、長崎の地で「死の同心円」の秋月辰一郎先生とも親交厚い先生で、今となっては忘れ得ぬ大切な我が師匠のおひとりであります。

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