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生活

日本人が救われた!!

 6月末の大阪G20に合わせて、大阪市本町で28日『習近平国家主席熱烈歓迎!!日中草の根交流65周年記念会』が開催されました。14時から20時までの長丁場でありました。李徳全研究会も主催の一つ。そもそも李徳全さんを私は存じ上げませんでしたが、『音楽で脳を考える』仕事の関係で知った浜松市の安間孝明さんから教えて頂いてビックリ。日本人として、こんな恩知らずなことはないと恥入った次第です。 

 

『李徳全  日中国交正常化45周年記念出版(日本僑報社発行、1800円税別)』に詳しいので是非お読みいただきたと思います。姿勢をただして読ませて頂く本の一冊です。 

 

 その書籍内容の小冊子(表紙には、32000人の日本人の命を救った中国人のクリスチャン政治家―李徳全とあります。そして中国から受けた無償の愛と)から抜粋してお知らせ致します。これも戦争のなせる不幸な出来事の中での『人の愛』の偉大さを知ることが出来る美談である、と同時に、絶対に戦争をしてはならないと決意を新たにさて頂けるからです。 

 

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もしも、戦後の賠償金を求められたら日本は国家として破綻するかも知れない。 

 そのような心配が国の中でささやかれていた頃、 

 神様は日本人32,000人を中国から無償、無死刑で帰国することを実現して下さいました。 

 すなわち、中国からの無償の愛で、日本人が一人残すことなく赦されて帰国することになったのです。 

 その中国から日本への赦しと愛の実践の背景には一組のクリスチャン夫婦の存在があったことを201411月の日中首脳会議実現までほとんどの人は知りませんでした。 

 戦後、知られずに封印されきたのような重要な出来事2014115日の議院外務委員会で公式に日本政府が謝辞を述べる形で表にでることになったのです。 

 

==(中略)== 

 1945年第二次世界大戦が終わり、日本は敗戦を経験しました。 

アジアにおいて多くの隣人たちは愛し合うことができずに、殺し合うことで沢山の人たちが戦いの中で死を経験しました。 

 日本は敗戦後、隣国中国からの戦後賠償がどれほどに及ぶか、1つの不安材料を抱えることになりました。 

 中国に残された100万人の日本人の帰国に向けて、多くの引き揚げ者たちが順番に故郷に帰る中、中国にはまだ残された人たちがいました。 

 それは、孤児、捕虜、B級、C級戦犯を含む32,000の人たちでした。 

 

 新中国である中華人民共和国と戦後直後、国交がなかった日本政府は中国との関わり方を模索していました。 

 当時の首相は日本人帰国のために新中国と直接交渉ができないためにヨーロッパに渡り、世界の協力を得ようと、主要国のリーダー達にお願いするも、前向きな答えを得られずにいたころ、神様はある夫人を用いました。 

 その人が、中華人民共和国初代衛生大臣(日本の厚生労働大臣)であったクリスチャンの李徳全(り とくぜん)さんです。 

 

 その夫は憑玉祥(ひょうぎょくしょう)将軍。この夫婦は、中華人民共和国建国の立役者と呼ばれ、新中国には欠かせない存在です。最初の奥さんを病死で失った後の憑玉祥は、クリスチャンであった李徳全さんと再婚することになりました。 

 日本人の無償、無死刑での帰国の背景に、この二人が体験したイエス様の大いなる愛があったのです。 

 

==(中略)== 

 終戦後から9年後の19541030日、李徳全女史率いる訪日団が1,000人の戦犯名簿を携えて、孤児や捕虜たち32,000人の日本人の無償、無死刑での返還を実現されてくれたのです。 

 

==(中略)== 

 そのクリスチャン政治家であった李徳全さんは、孫達の世代に戦争の遺恨を残さず、日本と中国が永続的に仲良く手を取りっていけるように、32,000人の日本人返還の際になぜ、無償、無死刑でしてくれたのかう答えました。 

2,000年間に及ぶ交流」の故だと言いました。日中の友好関係はずっと昔からあることを忘れないようにしてくれたのです。 

 後に平和を残すために、わずか一時の歴史のできごとで子どもや孫達が争っていくことがないように、平和の作り方を李徳全さんは生き方をもって伝えてくれたのです。 

 

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阿部一理(記) 

 太平洋戦争での死者は、およそ310万人。その一人一人の死に、言い表せれない悲惨な事実があると思います。 

 勇ましい言葉が勝つ空気の中、戦争反対の声を上げるのは勇気がいる。だからこそ、平和のときに皆でもっともっと語っておかなければと思うのです。個の意見が、団体の意見の前では本当に無力になって行くのは、歴史の良く示すところあります。 

 

 ワコールの創業者『塚本幸一さん』は、戦争で所属した小隊55人のうち、生き残ったのは塚本さんら3人だけだったという。インパール作戦である。待ち受けた英国軍の砲火に圧倒された。退却すると飢えと病気に襲われる。渡ろうとした橋が、積み重なった戦友の遺体であることに気が付き、愕然としている。自伝『塚本幸一―わが青春譜(人間の記録)』は読むのも苦しい。悪夢に叫び声をあげる夜は、10年続いたそうです。 

 今年6月インパール近郊に平和資料館が開館したそうです。この記憶は絶対に風化させてはならないと思うのです。 

 

 悲惨な沖縄戦、東京大空襲はじめ日本の都市が次々と焼き尽くされた空襲、インパール、硫黄島、シベリア抑留、中国の残留孤児、そして ヒロシマナガサキ・・・。 

 何と悲しい列記の数々であろう。そんな中、日本人32,000人を中国から無償、無死刑で帰国を実現!! 

 僅か5年前まで、ほとんどの日本人が知らなかった、と言うのですから私達はなんと、ボーット生きているのでしょう。 

 

 

 命を落とす水害死も、癌死も、戦争による死も、みんな防ぐことが出来るのです。 

川の氾濫を防ごう!! 

癌にならない食生活を実践しよう!!! 

そして 戦争は絶対にしないと誓おうではありませんか!!!! 

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