躾が大事

60年程昔、北海道は網走の片田舎の寒村で「ソロバン塾」を始めたのが高校一年生の春でした。身体の弱い私に、母は何かを身に付けさせたいと思ったのでしょう。村の農協の参事さんが唯一三級の腕前で、小学校4年の私と姉の二人で裸電球の下で何度か教わり、スタートしたのです。

三級までは至極順調、ところが試験科目に暗算が加わった二級からつまづき始め、一級挑戦のときは、この暗算の科目の壁に悪戦苦闘。それもそのハズ、私は珠算式暗算(頭の中にソロバンを思い浮かべて、あたかもソロバンがあるかのように指を弾く)ではなく、筆算で計算をしていました。中学生で一級合格した時は網走新聞に載るくらい珍しいケースで、筆算式での合格は全国に他に居ないのではないか、というものでした。

何事も基礎とか、方法とか、指導者とか導入がいかに大切かを身をもって知らさせた事例でした。今は手ほどきをしてくれた方や母に感謝以外の何物でもありません。が当時の私は、その無謀とも思える筆算式暗算を恨めしく思ったものでした。

習い事のない村で、高校入学と同時にソロバンを近所の子供たちに教え始めたら、たちまち100名を超える賑わいに、独特の教授法を編み出して、短期間集中習得法を確立、他の町の塾の1/3の練習時間で効果を上げた、と自負しておりました。

一、挨拶 
二、履きもの、自転車をキチンとそろえる(他人の物まで)
三、集中の度合いに挑戦
四、正座
五、楽しく、易しく、もっとやりたいと思う少し手前で止める。

私は、東京で自然食品や健康法に、興味と仕事が移る27歳までの12年間は、教育の世界で過ごすことになったのでした。46年前、東京の柏江市、調布市を中心に約1800名の生徒がおりました。「阿部教育センター」と言う名で、教師陣も30名の陣客でした。

さてその折、最も影響を受けた教育法に音楽における才能教育研究で名高い「鈴木鎮一先生」(世界的に名声を博したいわゆる「鈴木メソッド」=松本市に本部。※エジソン・アインシュタインスクールの鈴木昭平先生とは別人で同じ様に鈴木ソメッドと呼ばれています)『奏法の哲学』『愛に生きる』など、鈴木メソッドに感銘を受けました。

『どの子も育つ。育て方一つ』をモットーに、母国語には誰でも名人級になっている現実をみると、誰でも音楽の名人になれるハズ。オオカミに育てられた「アマラとカマラ」は、オオカミのように育ち、人間界に連れ戻されてからの言語の習得は困難を極めた事実を、シング牧師の書物で読んだり、グレン・ドーマン博士の来日を知り、講演を拝聴したり、石井勲先生の「石井式漢字習得法」を学んだり伏見猛哉先生の「英才教育」、遠山啓先生の「水道方式」、イタリアの女医 モンテッソーリ博士の本を読んだり。

幼児教育の大切さに傾倒し、千駄ヶ谷、幡ケ谷の渋谷地区内で実験教室を主任のK先生とスタートした頃でした。塾生のお母様より「玄米菜食、自然食の森下敬一博士」の著書を薦められ46年前教育の世界のオモシロサよりも健康回復運動、さらに自然環境問題の重要さに変わって行ったのでした。(阿部教育センターは、私が自然運動に移る前に弟に譲りました。その弟は34歳にして大腸がんで亡くなりました。久しぶりに会った弟の変わり果てた姿に驚きました。また弟は、西洋医学の治療を受けたためアット言う間に衰弱してしまったのでした)

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