たった一言で『スパイの子』だ

『戦争のない世界』は、とても困難な永遠のテーマか、否、とても易しいことにも思えるのだが・・・。 札幌の自然食品店主「まほろば」の宮下周平氏の『続倭歌 ぞく やまとうた』(IDP出版。2800円税別)237ページからの特攻隊の生き残り「大貫健一郎」氏の『散華の海、帰郷の山』を読みたくなった。 私の住む、東海地方の中日新聞は、原発にも、戦争にも他紙の追随を許さないほど毅然とした態度を貫いている。私は大好きである。

8月12日の一面トップ記事が「たった一言で 『スパイの子』」だ。」だった。他紙では間違っても一面トップにしないであろう、という記事だ。要約すると、

1941年初めに目崎さん一家はサイパンから東京に戻った。同級生から「なぜサイパンから帰ってきたのか」と尋ねられて小学2年生の目崎久男さんは、親から伝え聞いていた話をそのまま「近い内に米英と戦争があるから逃げてきた」と、深く考えずに答えてしまった。 多くの日本人は新たな戦争が起きるとは考えていなかった頃、うわさはたちまち広がり目崎さん一家は、敵国の情報を知るスパイの家庭と疑われ、父親は治安維持法に基づき1ヶ月ほど勾留された。家の前を特高が見張っていた。しかし、特高の姿がみえなくなってからが本当の地獄だった。壁に『スパイの家』と落書きされ、近所の人たちから石や糞便、動物の死骸、火の付いたわらまで投げ込まれ『非国民、死んでしまえ』と、ののしられ不安定になった母親は、ロープを手に「みんなで首をつろう」と迫った。

私、阿部一理は、こんないじめた人たちを弾劾したいのではない。『戦争の異常な雰囲気が生んだ、民衆のヒステリー』が怖ろしいのである。 そして、日本人の陰湿ないじめ体質は、被爆者を「やい ピカドン」といじめたり、3.11の後福島から転校した小学生を「やい フクシマ」といじめたり・・・。なんともオゾマシイものである。日本人も結構いやな面を持っているよ。と謙虚にならなければと思うのである。『村八分』の風習が残っているくらいだから分かろうというものである。

得意になっていじめる運動部の先輩やコーチや監督や協会幹部の問題が噴出しているのをみても、これは昔からの軍隊の名残りか。とにかく、戦争は人の狂気気質を何倍にも増幅してしまうものなのだ。 このような記事を一面トップにする新聞社はすごい。立場が変わればだれでも弱い者いじめをしたり、見て見ぬふりしたり。人間の業をテーマにしているような・・・・。

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