「すごい廃炉」その1

ある雑誌で『紀信が撮った「3.11」後』を見た。その記事で土木専門誌「日経コンストラクション」が2011年秋に写真集「ATOKATA」を上梓した。さらに2018年2月 日経BP社から「すごい廃炉==福島第一原発・工事秘録」(2700円税別)が出版された。その10頁に「そんな気持ちを込めて、僕は撮った」と篠山紀信は記している。

一部を抜粋すると、帰還困難区域を通って原発に着くと、まずパスポートを見せて、全身の放射線量を量る。そして靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、靴下を2枚はいて、防護服を着て、ヘルメット、マスク、だてメガネまでして。何重もの垣根を越えないとたどり着けない。だからこそ、感無量だった。

だが、[junkie-hightlights color=”red”]震災直後とほとんど状況は変わっていない。原子炉の中のデブリ(溶け落ちた核燃料)の調査は始まったばかりだし、まずそれを引っ張り出す方法も、出したところでどうしていいかも分からない。6年もの間、毎日6000人近い人が働き、膨大なお金と知力も使ってもだ。(表紙の文言に、労働者は毎日6000人/費用は推計8兆円/完了まで30~40年とある)[/junkie-hightlights]

篠山さんを、より積極的にさせた編集部の存在があります。さらに共同著者の記者、木村駿氏の「はじめに」は胸を打つ。
一部を抜粋すると、筆者は11年3月の事故以降、建築専門誌「日経アーキテクチュア」と土木専門誌「日経コンストラクション」の記者として、福島第一原発で「陰の主役」を演じるゼネコンの技術者への取材を続けてきました。

未曾有の事故の収束や、廃炉に向けた工事で現場の陣頭指揮を執ってきたのは、紛れもなく彼らです。しかし、東京電力の黒子として黙々と仕事をこなすゼネコン技術者の存在感は、福島第一原発の「敷地の外」では驚くほど薄い。担当者の氏名どころか、社名がニュースに載ることすら極めて珍しく、その“息づかい”のようなものが、ほとんど伝わってきません。このままでは、現場の技術者が課題に直面した際に何を考え、どのように問題解決に当たったのか、重要な情報が風化してしまうかもしれない。

未曾有の原発事故の「後始末」をどう進めたか、報道機関として記録にとどめる必要があるのではないか。そんな風に考えたのが、取材を続けてきた理由の1つです。のっけから偉そうなことを書きましたが、理由はもう1つあります。彼らへの取材が非常にエキサイティングだからです。

(中略)

記事だけで「現場の空気」を伝え切ることはなかなか困難です。そこで、写真の力を借りることにしました。撮影したのは、常に時代の最先端を切り取ってきた写真家の篠山紀信氏。篠山氏と言えば、山口百恵や宮沢りえ、ジョン・レノンとオノ・ヨーコといった有名人のポートレートが思い浮かびますが、筆者が所属する日経コンストラクション誌では、土木工事の現場を被写体とする「現場紀信」という不定期連続を10年から続けています。

今回、16年12月と17日1月の2回にわたって、福島第一原発をじっくり撮影する機会に恵まれました。厳選した写真を記事とともに第1部に収録しています。「僕は原発の中だけでなく、周辺も撮影したい。そうでないと、不完全ではないか」。2度の撮影を経て。篠山氏からこんな言葉を投げかけられました。そこで17年9月には、国が住民の立ち入りを制限している福島県双葉町の「帰還困難区域」を撮影しました。震災当時の姿を残したまま自然に侵食されていく街の風景を、第2部に収録しています。

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