「エミール」その4

「エミール」フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソー(1712年~1778年)(岩波文庫)の上巻より、一部抜粋した言葉です。

もし、わたしたちが死なないものとしてうまれているとしたら、わたしたちは、非常にみじめな存在となるに違いない。
死ぬのはつらい。たしかにその通りだ。
しかし、この世にいつまでも生きているわけではないこと、もっと良い生活がこの世の苦しみを終わらせてくれることを期待するのは楽しいことだ。
地上で永遠の生命を与えられたとしても、誰がそういう悲しい贈り物を受けとる気になれよう。
運命のきびしさと人間の不正にたいして、どんな救いの道が、どんな希望が、どんな慰めが、私達に残されることになるのか。
(中略)
自然に従って生きよ、忍耐づよくあれ。
そして医者どもを追い払うことだ。
きみは死を免れることはできない。
しかし君は死を一度経験するだけだ。
ところが医者どもは、君の混乱した想像のうちに毎日のように死を呼びさまし、かれらのいつわりの技術は君の生命をのばすことなく、それを楽しむことを妨げる。
この技術が人間にどんないつわりのない恩恵をあたえたか。
わたしはくりかえしてそうたずねたい。
なるほど、かれらがなおした病人のうち幾人かは、、かれらがいなければ死んでいたかもしれない。
しかし、かれらが殺した数百万の人は生きていたことだろう。
分別のある人よ、こういうクジに賭けてならない。
それにはあまりにもはずれが多い。
苦しんでいるがいい、死ぬか、なおるかするがいい。
しかし、なによりも最後の瞬間まで生きるのだ。(107)

人間のようなかりそめの存在が、めったにやってこない遠い未来にたえず目をやって、確実にある現在を無視するとは、なんという妄想だろう。(109)

子供を不幸にする一番確実は方法はなにか、それをあなたはがた、知っているだろうか。
それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。
すぐに望みがかなえられるので、子供の欲望はたえず大きくなって、おそかれはやかれ、やがてあなたがたの無力のために、どうしても拒絶にしなければならなくなる。
ところが、そういう拒絶になれていない子供は、欲しいものが手に入らないということより、拒絶されたことをいっそうつらく考える事になる。
かれはまず、あなた方がもっているステッキが欲しいと言う。
つぎには時計が欲しいと言う。
今度は飛んでいる鳥が欲しいと言う。
光っている星が欲しいと言う。見るものはなんでも欲しいと言う。
神でないのに、どうしてそういう子供を満足させることが出来よう。

時間のもちいかたをあやまることは、何もしないでいることよりもっと時間を無駄にすることになるという事、そして、へたに教育された子供は、ぜんぜん教育をうけなかった子供よりずっと知恵から遠ざかることが、あなたがたにはわからないのだ。
子供が何にもしないで幼い時代を無駄に過ごしているのを見て、あなたがたは心配している。とんでもない。
しあわせに暮らしているのがなんの意味もないことだろうか。
一日じゅう、飛んだり跳ねたり、遊んだり、走り回ったりしているのが、何の意味もないことだろうか。
一生のうちでこんなに充実した時はまたとあるまい。
非常に厳しい人と思わているプラトンは、「国家篇」のなかで、もっぱらお祭りや遊びや歌をうたう事、なぐさみごとをさせて子供を育てている。
子供みずから楽しむことを十分に教える事が出来た時、プラトンはすべてをなしとげたことになるだろう。(162頁)

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