元京都大学助教授の槌田劭(つちだたかし)さん(専攻は金属物理学だが原発も研究)は、
若くして原発に疑問を感じて京都大学を退職したのであった。
「脱原発・共生への道」(樹心社)
「原発事故後の日本を生きるということ」(共著:農文協)などに詳しいが、有機農業や味噌づくりを実践していた矢先に福島第一原発の事故。
その一報を、福井の「有機農法研究会」当日の全国大会で知った。
その時「アー、ついに起きてしまった。命がけで反対して来なかった」と自分を責めた。
後に大飯原発の再稼働に反対して氏は、京都駅前で死ぬ覚悟でハンガーストライキに入った。
このことは、あまり知られていない。
『稼働した時は死を選ぶつもりでした。』と直接ご本人から聞いた時は、あの優しい風貌のどこに、この強靭の精神があるのだろうと、強烈な印象は、今も脳裏から離れない。
氏は、水俣病の原告側の証人として「あれは水俣病と呼ばずに、水俣事件と呼ぶべきだ!!そして、原子力発電所は『原子破壊力発電所』と称すべき」と語る。
言葉は大切。言い得て妙とはこのことか。
なるほど、自然界にはあり得ない原子の破壊力を応用した爆弾が原子爆弾であり、原子力発電所なのである。絶対に人類が手にしてはならないものであった。
原子破壊力発電所!!全世界の人々がこう呼ぶようになって欲しいものだ。
一日でも早く待たれているのである。
何種類かのフリーエネルギーが実現間近かと聞いている。
いよいよ、エネルギー部門の解決は近い。
としたら遺伝子組み換えが今後の一番の問題となるかと思われる。
これは手強い難問中の難問である。