「生きている」その3 小川茂年氏

<<生きている>>その3-1 小川茂年氏
「食養の道」1979年12月号  月刊「生きている」よりおもいきった抜粋
(文責 阿部一理)

生きている(4)

欧米の死亡率の第一は、「心臓疾患」だそうです。

ロンドン大学のユドキン教授は、10年以上もの探索の結果、心臓疾患の原因は、砂糖の取り過ぎであると発表しました。

動脈硬化症とその派生障害である心筋梗塞は、脂肪ではなく「白砂糖」や「精白されたデンプン(白米と白パン)」が原因だと言うのです。

私たちは、よく「この男は、やっとものになった」とか、「あの人は、物分かりが良い」とか。「もの」とは、者であり物なのです。

ものになるとは、価値の評価です。が、心と物が一体化され、対応の論理となり、生命の在り方、生き方を表現している「もの」でもあります。

その「もの」は、食うと生きるが基本となって生成するものです。

食うとは、自然や社会が自分を生かしてくれいる自覚であり、生きるとは、食うの世界の中で自立し、その世界を自己の中で見事に表現することです。

食の中で直接的なのは植物です。植物の葉緑素と人間の赤血球は、MgとFeとの核における差があるだけで、あとは全く同じ構造を持っています。

葉緑素から赤血球への変転こそ、最も重大なものです。

私たちは、できるだけ判断力を高め、深め、強化しようと努力するのです。

そして最高の判断力は、神や野生によって象徴され「生の本質」をとらえ得る人のみ持つ事が出来るのです。

この判断に到達するか、自解するのが学問であり、その波長をとらえる素材として構成するものこそ、食物なのです。

食物の素材と組み合わせ取り方こそ、人間革命に最も重要だというのはこのためです。

「健康」とは、まさに、この正しい最高の判断力の持主につけた別名です。

生のムスビ

生とは常に世界的であり普遍的である。そして本質的には周囲との出会いである。

光は東方より 法は西より

西の膨張分極作用、すなわち陰は、東洋の求心結合の陽の必要を感じる。

新しい結合の日がきているのだ。

その結合によって、世界と普遍としての自己が現出し、環境が生き生きとしてくる。

西洋と日本

西洋の個人という概念は、社会的権力(人間性の分裂の極限)の対立であり、
東洋とくに日本においての如き宇宙生命の流れの中の孤独さ(わび・さび)の
人間理念と全く対称的なのであり、人間尊重の表現と方向が逆になっています。

外と内の概念から、権利と義務、自由と責任をとりだすと説明が出来るかもしれません。

外とは物質的延長であり、欲望の充足であり、損か得かできめる概念です。

内とは求心的統一であり、安心立命であり、好きか嫌いかできめる概念です。

外は皮膚であり、感覚で対立で排他であり、内は消化器であり、想像で総合で受容であるのです。

この事は、内のつまり消化器官→食物→精神とつながる論理となる事でしょう。

その時、食物=人間の相互関係の重大さを知るのです。

フランスのルイ・ケルブラン博士は、サハラ砂漠の労働者の栄養管理の際、非常に奇妙な事実を発見しました。

  1. 肉類(窒素N)欠乏食を与えると、便や尿中に排泄されるNの量は投与量より多くなる。デンプン(C)が、たん白(N)に変化することを意味し、女と子供は、その能力が大と言われています。
  2. 肉類(窒素N)過剰食を与えると、Nの排泄量が減る。タンパク(N)がデンプン(C)に変化することで、肉が体内で草の形に変形されてから吸収される事を意味します。

『正食』とは、大地と植物と」の一体性をとく「身土不二」の原則として知られています。

ただ玄米を食え、種子を食べろ、野菜の全体を食べろ、食べ方と料理を正しい宇宙の進化に合致するような方法にしろ等という単純さの中にあっても、広い魂と微妙なそして偉大な秩序を発見する事が必要なのです。

そして、その理解は自分自身でするより他にないのです。

誰も助けたり教えてはくれないものです。

しかし、誰でも自分自身で覚える能力をもっているのです。

人間の本当の解放を、日々の食卓で訓練するのが『正食』の道なのです。

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