食糧不足を引き起こす『リン危機』。
食糧の生産が激減し、人類存続の危機の緊急課題だというのです。
■『生命のボトルネック』と『最少量の法則』
米国の作家で生化学者でもあったアイザック・アシモフは『リンが、やがて地球の生物量を制限する』と予言した。
生物の生体中、主元素の中でも最も濃縮されている元素がリンであることを突き止めて『生命のボトルネック』つまり『イノチの首根っこ』と称したのだ。
さらに、独国のJ・リービッヒは、植物の生育を支配するのは、最少量の養分であり、他の養分をいかに多く与えても償えないという最少量の法則『最小律』を提唱した。土壌に肥料としてリン酸が僅かしか施されないと、窒素(N)やカリウム(K)などの他の必須養分が十二分に与えられても、生産収量はリン酸量で制限され支配される。そして、リン酸を増加させると、収量もこれに比例して増加することを突き止めたのだ。
成人一人が摂取するリン必要量は1日1g。日本の人口1.2億人ならば毎年約4.4万tが必要。世界人口は68億人居るので、年間約175万tが必要となる。摂取量と排泄量は、ほぼ同じである。世界のリン鉱石総採掘量が約1.4億t。そのリン含有量が13%で、0.2億t。陸から海に捨てている量が約0.2億tでほぼ同量となる。つまり、採った分はそのまま海に廃棄している格好だ。
10億年から200万年前に形成された海洋中の生物の死骸の堆積物、地下のマグマによる火成岩質、そして南太平洋上での鳥たちの糞や遺骸からなるこれらリン資源が、ここ200年の内に、地上から根こそぎ削られて消失されようとしている。
■リンはどこから摂取??
リンを、人は、果たしてどこから摂り入れるのだろうか。ただ一つ、食事しかない。作物は、土壌からリンを吸収するも、それは元々リン肥料から来たものだ。家畜もリン酸カルシウムの飼料由来を探れば、同じようにリン鉱石に辿り着く。
だが、今、地球規模で、この天然資源が枯渇しようとしているのだ。そして、それは人類存続の大問題にまで発展する。これは食糧のみならず、バイオマスや燃料、電気自動車や太陽光発電、医療用原料などのさまざまな未来産業分野でも不可欠である。
現在、世界の人口は70億人に達し、いずれ2050年には90億人を超えると予測されている。中国・インドの人口爆発を養う食糧需要を、一体どのように確保するのだろうか。
FIBL(世界的有機農業研究機関)のレポートでは、世界の有機農家数は約230万人で、全農家の約0.4%に過ぎず、100人に1人もいない。「まほろば」は、自然食品を生業(なりわい)としているが、目を世界に転ずれば、実にマイナーな極小の商業圏で、自然・有機農業は点のような存在だ。つまり俯瞰すれば、この人類を養っているのは慣行農法、すなわち化学農業であると言っても過言ではないでが、現状だ。
■リン肥料の歴史
それは化学肥料使用なしには成り立たない。しかし、それも元を辿れば、天然鉱石が原料で、また有機栽培の家畜堆肥といえども、その飼料は同じ源、素材から来ている、その自然資源のリンが、失われているというのだ。
リン肥料は、実は目新しい化学農法でもない。いわば「糞と骨の歴史」の有機資材で、古代からの農法でもあったのだ。日本では、いわしの干し物「干鰯(ほしか)」、人の糞尿「金肥(きんぴ)」、蝦夷地の「鰊粕(にしんかす)」など、リン肥の効用は化学名を知らずとも、畑の智慧で先祖は本能的に土を肥やし、作物を美味しく豊かにさせるのに使っていたのだ。
リン鉱石に硫酸を反応させた「過リン酸石灰」を、高峰譲吉が日本で初めて製造したのが、明治21年(1888年)、130年前も前のことであった。水溶性で速攻性のある過リン酸石灰からその後、硫酸を使用しない蛇紋岩と混合する「熔成リン肥」や、さらに「熔成リン肥」の遅効性の穏やかなものとの併合が施肥されて今日まで来たのだ。不勉強のまま、化成肥料を一方的に批判するのも、慎みたいと思う。