原爆を使わなくても確実に戦争に勝てる事はわかっていた!!!

 2回で終わらず、この稿(3回目)までかかってしまいました。 

『民間人の無差別攻撃』は、当時の戦争のルールでもハッキリと禁止とされていたことは、皆さんも、よくご存知の通りです。 

まともな神経では、読むに耐えられないような怖ろしい報告です。気絶しないことをお祈りいたします。(阿部一理 記) 

 

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7章 こうして無差別攻撃は決行された(167ページ 7行目から) 

 日付が変わっ310日午前121。出撃から7時間あまりが経た頃だった。ルメイのもとに「第一弾を投下した」と言う報告が入る。東京大空襲が始まったのだ。東京上空に到達したB-29は、大量の焼夷弾を投下した。その数、32万7000発。夜間空襲にもかかわらず、辺り一帯が昼間のような明るさとなった。 

 

燃え盛る炎は、大量の酸素を飲み込みながら、凄まじい上昇気流を発生させた。爆撃の中心地として狙われた台東区、墨田区、江東区は、たちまち火の海になった。夜中に突然、地獄にたたき落された人々は、炎で焼かれ、窒息して倒れていった。燃え広がる地域に対して、爆撃は2時間半にわたって容赦なく続けられた。東京の下町に暮らす130万人が、逃げ場のない火の海に包まれた。 

 

 非人道的な空襲を行う軍人たちは、無差別爆撃をどのように受け入れるのか。ルメイは自伝の中で、道義的な責任を押し殺していたと打ち明けている。 

 「大量の爆弾を投下するときに、わずかでも想像力があることは、不幸である。崩れ落ちる1トンものガレキが、ベッドで眠りにつこうとする子どもを下敷きにしたり、火傷を負って『ママ、ママ』と泣いている3歳の女の子の恐ろしいイメージが頭をよぎってしまうからだ。だが、正気を保ちたいと思うなら、また、祖国に求められている任務を実行しようと思うならば、そうした想像から目を背けなければならない。」 

 一夜にして、下町の住民のほとんどが被災した。東京大空襲の犠牲者は12万人とも言われているが、今も、正確な数字はわかっていない。 

 

===中略===(169ページ 14行目から) 

 だが、その後もルメイは焼夷弾による無差別爆撃を続けて行く。3月12日には名古屋。13日は大阪。17日には神戸。19日には再び名古屋。B-29は、次々と大都市を焼き払いっていった。これらの焼夷弾爆撃で、さらに1万人以上の命が犠牲となった。 

 3月10日~19日までにターゲットとなった都市はすべて1943年に作成されていた「日本焼夷弾空爆データ」で計画されていた主要攻撃目標と一致する。計画に基づいて空襲するならば、まだ広島や福岡などが残されていた。 

 

===中略===(177ページ 5行目から) 

 毒ガス攻撃も準備されていた 

 ここで、一つ振り返ってもらいたい文言がある。1922年にミッチェルが示した空爆戦略の一文だ。そこには、こう書かれていた。 

「毒ガスはその土地に生きられなくするために使われ、焼夷弾は火災を発生させるために利用される」 

 焼夷弾だけではなく、毒ガスによる空襲も有効だと示しているのだ。焼夷弾は周到に準備されていたことがわかった。はたして、毒ガスはどうだろうか。ミッチェルの戦略を忠実に継承していたアーノルドらは、やはり準備していたのだろうか。改めて日本への空爆計画に目を通してみる。すると、その恐ろしい計画は見つかった。 

 

『日本への報復のガス空爆計画』 

 

1944年4月に作られていた。内容を読んで、背筋が凍った。おぞましい文言が、淡々と事務的に書き連ねられている。 

「ガス攻撃計画の主な目的は、犠牲者を最大にすることである。交通機関や公共サービスを麻痺させ、通常の空爆による被害からの回復を困難にさせ遅延させる。そして焼夷弾爆撃のためにターゲットをより脆弱によることである」 

 「可能な限り最大の効果を達成するために、ターゲットは人口密集地域および戦争遂行能力を支える重要機関のある都市部に絞る」 

 「ガス攻撃が日中に行われる場合は、都市部でも最も混雑しているビジネス街の中心部、人口が密集する住宅街、および工場地区が最適である。攻撃が夜に行われる場合は、人口が密集する住宅街が望ましい。斟酌を加えてはならない」 

 道義的な問題は全く考慮されていない。使用される毒ガスは、マスタードガスとホスゲンだった。どちらも第一次世界大戦で大量に使われ、多くの犠牲者を生み凄惨な結果を招いている。 

 

 標的にされていた都市は7つ。東京、横浜、川崎、名古屋、大阪、神戸、八幡。それぞれの都市の地図が添えられていた。焼夷弾の空爆計画を同様に色分けされ、赤、ピンク、白、そして黄色の4色だった。黄色についての説明は見当たらなかったが、すべて港湾部に塗られていた。毒ガス攻撃で得られる“成果”については、次のように説明されている。 

「ターゲットとした都市の総人口は1450万人を超える。これは日本本土の総人口の4分の1をわずかに下回る数である。その全ての人が攻撃の影響を受けることになるだろう。労働者人口の大部分に犠牲者を出し、軍需品生産工場、通信、および輸送施設に被害を与え、使用不能にさせることにより、日本の戦争遂行能力は奪われるだろう」 

 

 1450万人以上の一般市民を明確に攻撃対象と定め、彼らが行動不能になることで戦争の継続を不可能にする。まさに、ミッチェルが書き記していた航空戦略と一致していた。まだ航空兵器も化学兵器も発展途上だった時代に構想された凄惨な空爆思想が、科学の発展とともに現実に落とし込まれていたのだ。この空爆作戦が実行されていたら、いったいどれほどの被害がもたらされたのだろうか。正直、想像もしたくない。 

 

===中略===(189ページ 9行目から) 

 この頃、スティムソンは、焼夷弾爆弾で悲惨な被害を出し続けるよりも、新兵器の原爆を使うことを優先的に考えていた。のちに「原爆投下は数十万人を超える日本人に死をもたらす決断だったが、それによって焼夷弾爆撃は止められた」と書き残している。空爆戦略史が専門のコンラッド・クレーン博士(アメリカ陸軍大学戦略研究所・首席研究員)は、こう指摘する。 

 

「スティムソンの回顧録によると、彼が原爆の使用に賛成した理由の一つは、焼夷弾爆撃を止めるためでした。焼夷弾爆撃を行った乗組員は、燃えた人肉のにおいが染みつくため、飛行機を入念に洗わなければならなかったし、ガスマスクを付けなければ任務に当たれないほどでした。当時の日本に対して行われた空爆作戦において、超えてはならない道徳上の一線は、焼夷弾の使用であり、原爆の使用ではなかったのです」 

 

 実は、原爆の使用に対して航空軍は反対していた。アイラ・エイカーは、心臓発作で療養していたアーノルドからこう伝えられたという。 

 「アーノルドは私に『原爆を使用するかどうかといった案件が私の不在の間に浮上してくると思う。戦争終結のために原爆を使用する必要はない。それは通常の空爆作戦で成し遂げる事ができる。これが私の考えだ』と伝えてきた。私は実際にトルーマン大統領との会議の場で『アーノルド将軍は私と同様に、戦争に勝利するために原爆を使用する必要はないだろうと考えています。戦争終結に原爆投下は不要です』と伝えた」(肉声テープより) 

 

===中略===(191ページ 4行目から) 

 原爆投下の準備に協力するよう指令を受けたルメイの反応も素っ気ないものだった。 

 「原爆投下の2ケ月前に説明を受けた。投下部隊の到着のためにテニアン基地の準備をしておかなければならなかったからだ。ただ、目の前の戦いで成果をあげることで忙しかったし、原爆にはあまり興味を持たなかった。原爆を使わなくても確実に戦争に勝てる事はわかっていたからだ。 

 

 私は、それが地獄のビックバンになるということしか知らなかったが、あまりに恐ろしくて使えないという理由で、多くの人々は核兵器の使用に反対していた。しかし、『我々は原爆を開発したし、それは兵器として使われるべきだ』という単純な論理に基づいて原爆は使われた。 

 実際、私は核兵器の使用についての道義的な問題のことは理解できない。原爆は他の兵器に比べたら特別に恐ろしいわけではない。実際、焼夷弾を使った日本への空爆で、私たちは原爆よりももっと多くの人を殺したのだから」(肉声テープより) 

 

====中略===(192ページ 8行目から) 

 しかし、アーノルドは、終戦をもたらしたのは、原爆ではないと振り返っている。 

 「不意の日本の降伏は、驚きを伴ってやってきた。我々は、おそらく4つの原子爆弾を落とさなくてはならないか、もしくはさらに爆撃隊を増員しB-29の空爆作戦を増やさなくてはならないと思っていたからだ。日本を降伏させたのは、2つの原爆だけでない。我々は通常爆弾と焼夷弾によって60の都市を爆撃し多くの人を殺した。 

 

我々のB-29は、ほとんどの産業を破壊し、重要な物資の補給を断ち切り、日本が戦争を遂行することを不可能にした。私たちにとっては、原爆が落とされようと落とされまいと、日本はすでに崩壊していたのだ」(自伝より) 

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改めて終戦が遅過ぎたと思います。 

『死の同心円』(長崎被爆医師の記録)を出版された大尊敬する秋月辰一郎医師は、生前次のように語っておりました。 

 

★★「ヒロシマの原爆の16時間後、 

トルーマン大統領は 

『日本は、パールハーバーの数十倍もの報復を受けた。これは原子爆弾である。 

この期におよんでもなおポツダムの受諾を拒否するなら、有史以来最大の破壊力を持つ爆弾の雨が引き続き日本人の頭上に降りそそぐだろう!!』と声明したことも、私たちには知らされていなかった」と。  

 

 そして終戦が遅すぎたことが、残念でならないとも。★★ 

 

そう語っていたことが、今もハッキリ耳に残っております。 

戦争はナンとしても避けなければならない、と宣言して、この稿を終えます。 

 

そして、次回は『AI兵器』のもっともっと身の毛がよだつ 

『これ以上怖ろしい現実はない』と言う 

『NHK BS1 スペシャルのレポート』を紹介致します。 

もう人類はダメかと正直、この番組を見て凍りつきました。 

録画に残してあります。 

 

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