2020年8月9日の中日新聞「ニュースを問う」
『特攻』のメカニズム(3)の見出しは、卑怯者扱い鬱屈する思い、とありました。帰還者の隔離棟「振武寮」の写真付きの記事。
私 阿部の2018.01.31のHPの文を合わせて読んで欲しい。
私は親友 宮下周平著「続倭詩」(ぞくやまとうた)で知った戦争の理不尽さの1つ「特攻」の扱われ方に涙した。
歌手 大貫妙子さんの父君の無念の思いを宮下周平氏の筆によって、しばらくは立てないほどの感情にさせられたのです。
そして、今回のこの中日新聞の記事です。以下に抜粋にしてお知らせします。(一部略)
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振武寮は、知覧(現鹿児島県南九州市)などから出撃後、機体の不調や悪天候で帰還した陸軍の特攻隊員たちが閉じ込められていた宿舎。その存在は戦後も長い間広く知られることはなかった。志願した若者たちが勇ましく散っていく特攻のイメージと懸け離れた実態から目を背ける空気を、戦後も引きずっていたのかもしれない。
==自陣への突撃を懇願==
帰還した隊員への上官の虐待の数々。その一方で、腹に据えかねた隊員の怒りも充満した。それが暴発しかけた場面が、特攻隊を描いた映画『月光の夏』(1993年)にある。振武寮であった実話だ。
中尉「明日、雁の巣(福岡市にあった陸軍の飛行場)を離陸したら、司令部の参謀の部屋めがけて突っ込んでくれ、頼む」
伍長「中尉殿、勘弁してください。自分にはとてもできません」
中尉「もういい。すまなかった。忘れてくれ」
伍長「すみません。自分は、今度は必ず必ず敵艦に体当たり致します」
特攻に出撃しながら帰還した中尉が、出撃待ちの伍長に自陣への突撃を懇願する場面。その標的は、特攻全体を指揮する司令部の一室だった。このシーンの直前に、中尉は司令部への憤りを伍長にこう語っている。
「俺は悪天候でやむなく部下たちを連れて引き返した。無駄死にさせないためだ。命は惜しまない。だが無駄死にはしたくない。的確に敵空母を狙うために出直すつもりだった。参謀は俺が命惜しさに引き返したと頭から疑ってかかった。やつは、特攻で出て行った者を侮辱している。特攻の精神をも冒瀆(ぼうとく)するものだ。机の上で作戦を立てて指図だけしているやつに何が分かる。俺は参謀を許さん。殺したい。俺はやつににらまれ、どこへも行かしてもらえない。生殺しにあっている。軍刀で拳銃でも、あれば俺の手でやる、刺し違えてやる。おまえに頼みやしない」
実行されていれば、特攻機が日本軍の司令部に突っ込むと、というとんでもない事件。そんな話が本当にあったのか。映画の登場人物は複数の実在する隊員をモデルにしており、そのうちの一人で、突撃を頼まれた当人の牧甫(はじめ)さん(1921~2006年)に生前。直接話を聞くことが出来た。
「頼まれたときは、とにかく驚いたよ。実行していたら、陸軍始まって以来の事件になるんじゃないかって」
映画では伍長が突撃を断ったことになっているが、当時少尉だった牧さんは、突入事件が幻に終わった理由の一つは、出撃指令が偶然取りやめになったため、と言う。
==あり得ない暴行事件==
さらに、同じころ、この出来事の舞台になった振武寮では別の驚くべき事件が発生していた。隊員らから恨まれていた参謀が、階級が下の隊員に殴られた、というのだ。帰還隊員たち鬱屈した思いが充満していたのだろう。牧さんはこう話した。
「中野友次郎少尉ってのが、その参謀を殴ったって言うんだよ。結局、上官の『立派に闘ってきた者に対して何の文句があるんだ』というとりなしで、おとがめはなかったみたいだけど。びっくりすることばかりだったなあ」
そのことは、中野さん(1999年没)自身が93年発行の戦友会の冊子「続々航跡」(非売品)にこう書いている。
「私が代表で本部に報告に行った。例の少佐参謀が入り口近くに居て『おう、卑怯者が帰ったか』と言った時又頭に血が昇り『卑怯者とは何だ』と言いながら私は思い切りその参謀をぶっ飛ばした。青木閣下(武三)がその若い参謀に『私の編成した部下に何か文句があるのか、立派に闘って戻ったものを』と言われ・・・・」
当時の日本軍の階級は、将官(大将、中将、少将)、佐官(大佐、中佐、少佐)、尉官(大尉、中尉、少尉)の順だから、少尉の中野さんが三階級上の少佐に暴行したのは、あり得ない”事件”だった。
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阿部一理 談
今、地球人類がかかえている病も貧困も、CO2問題も遺伝子組み換えの種も、ナントカ解決の糸口は、つかめています。しかし、戦争の危機だけは止めようがなくなっているように思えてなりません。
病いや貧困などの克服より、余程やさしいとも思える『非戦の誓い』だと思うのですが。。。
最後に、翌8月10日は、前の日のナガサキ原爆の日の特集記事に、さだまさしさんのメッセージがありました。
まさに、今の私の気持ちを書いてくれていますので、全文を紹介させて頂きます。
こう書きながらも、一部の人たちが武力を笠に着て、他国を脅かす動きがあるのも気になって仕方がありません。
『被爆者であった叔母の言葉が胸に残っています。
原子爆弾だけが悪では無く。
本当の悪は人の心の中にいます。次々と兵器を考え出すのです。
そして叔母はこうも言いました。
もしも私たちの国が先にこの爆弾を造っていたら、
他のどこかの国の誰かが私と同じ苦しみを受けたかもしれません。
つまり戦争が全て悪いのです。武器で平和を買うことが絶対にできないのです、と。
世界中から、戦争と核兵器が無くなるよう、心から祈ります。』