NHK TVの朝の連続小説『なつぞら』は、戦争孤児の悲しみや苦しみが少ない珍しい境遇」が描かれている。実情はあんなに生やさしいものではなかっただろう。『なつ』も『さいたろう』も優しい人たちに恵まれたのは、稀有(けう)な例だと思う。
2019年8月17日TBS報道特集『戦争孤児500人のお母さん』鎌田トムさん106歳の話は、凄まじい。【星野光世さんが絵本にされた】昭和20年3月10日の東京大空襲で、B29からの焼夷弾を逃れようと隅田川へと走った。
赤ん坊をおぶったまま、つまずいて川の中へ落っこちた。流れて来た荷車の上に上がって気を失った。助けあげられた時は、背中の赤ん坊は息絶えていた。おっぱいを絞って口の中へ入れても、何の反応もしない。やがて離れ離れになって逃げた夫の遺体と対面、河原で半日かけて焼いた。涙も出なかった。
遺骨を抱いて夫の郷里の親元へ。
「こんな姿になって帰って来て」と、母は泣いた。
一言「あんたのお陰で、無縁仏にならなくて良かった」と言われたとき、初めて涙が溢れた。
上野公園の戦争孤児の数に驚く。持参したオムスビを食べようしたら、「頂戴、チョウダイ」と手を出す多くの子供たち・・・・。トムさんは、延べ500人の孤児たちのために生きた。失った我が子の身変わりと思ってなみなみならぬ愛情を注いだ。立派に成長した孤児たちは、口を揃えて恩人トムさんに感謝の気持ちを語った。
太平洋戦争310万人の死者の陰に何倍も何十倍も、そんな悲劇の人間ドラマがあった。
私 阿部一理は、終戦の前年昭和19年2月23日。北海道の網走で生まれた。出征している父の郷里淡路島へ6人の子供を連れて母は旅に出た。どうも淡路島の方が危険なようだ、と結局網走に戻ることになった。戻る途中兵庫県明石の親戚に一泊させてもらった。もう一泊どうぞ、というのを一日も早く戻りたい、と出発。その夜 明石は空襲を受け間一髪助かった。6人の子供を連れて知らない土地で防空壕へ避難するのは、想像を絶するサマでしょう。一日早く出発したのは、幸運以外のなにものでもなかった。やっとの思いで日本海側を列車で乗り継いで秋田までたどり着いた。列車は空襲を避けながら走る。今思うとよくぞ走れたものだと感心する。
車中で知り合った見ず知らずの方の家に泊めて頂き、お風呂にも入らせて頂き、温かいご飯をご馳走になり、また出発。困った人をみると放っておけない性分は、幼いときからいつも聞かされた母の「困った人をみたら親切にしてあげなさい」の教えが身についたお陰かも知れません。青函連絡船も当時は5時間もかかった。
そして、函館から網走までがまたまた遠い。なんと都合1週間以上もかかったと、その時の苦労をよく聞かされたものでした。
一人の子供を失うこともなく、無事に帰って来られたのは奇蹟のようだ、と。
もっとも生後間もない私は、母におんぶされたままなので絶対にはぐれなかっただろうね。と姉たちに言われてものでした。
戦後、父も樺太から無事に帰還。一家は全員無事でした。
あの当時は、こんな苦労は当たり前で、戦争の持つマイナスの面は甚大である。
『生きているだけでマ・ル・モ・ウ・ケ』というのは、当時の多くの日本人の考えだったと思う。戦争は、どんな理由をつけてもダメ。始めるより止めるのが難しいと言われる。集団の中で止めようと声を上げることが出来ない雰囲気があり、情報操作されて、この神国日本が負けるはずがない、とさえ思い込まされていた。
神風が吹く。敵兵を竹槍で刺し殺す訓練を真剣にしているサマは、もうコッケイとしか言いようがないがない。
8月15日の玉音放送を聴いた時、
ホッとした人
負けたことは認められないと息巻いた人
戦後、あの戦争をキチンと検証して責任を明らかにしなければならない、と思うのは私だけではないと思う。
止めるポイントはいくつもいくつもあった。
それが、昭和20年8月15日とは、余りにも遅すぎた。
先の10月6日に生まれたからトムさんと名付けられた、106歳の女性の一生こそ、NHKの朝の連続ドラマでやって欲しいと思う。
戦争はダメです。あくまでも問題解決のため常日頃からの努力が何よりも肝腎です。
日中、日韓、日米・・・と。思いを巡らしていた時、週間現代の『独ソ戦』の記事を読んだ。
殆どの日本人が詳しく知らない事実を、岩波新書『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』戦場ではなく地獄だ、が発刊。なんと11日間に4刷り、すごい売れ方。その内容の怖ろしさには、誰もが言葉を失う。
第二次世界大戦で、ソ連の死者2700万人、ドイツの死者830万人。
その大半は、独ソ戦で命を落とした。人類史上全ての戦争の中で最大の死者数を記録。
人間は、かくも残酷になれるのか。ヒットラーがスターリンが指揮したとはいえ「止めよう」と声を上げる事の出来ない異常さ、が恐ろしい。その記事の小見出しを並べると
『わが子に、わが子を食わせる』
『降伏しても殺される』
『死ぬまで行進』
『国民が共犯者』とある。
週刊現代『夏の合併号記念企画、戦争の記憶』の記事は、最後にこう締めくくっている。
ドイツとソ連が国ぐるみ、国民総出で殺し合った皆殺しの戦争は、
人間とは何かという問いを70年後の現代に投げかけている。
私 阿部一理は、ヒロシマが、ナガサキが、ガダルカナルが、硫黄島が、東京大空襲が、沖縄戦が・・。
と、多くの日本の悲惨に言葉を失っていたのが、この独ソ戦を知って、上には上があるものだと。
平和な時にこそ、戦争を語っておかなければと思う。声が上げられなくなってからでは遅いのです。
NHKのチコちゃんに取り上げて欲しい一番は
『戦争をしないタメには・・・・』であります。
チコちゃんに言いたい『ボーッとテーマを選んでんじゃないよ!!』と。