『奇形児はなぜ。妊娠してからでは遅すぎる』その2

『奇形児はなぜ。妊娠してからでは遅すぎる』のまえがきは特に衝撃的です。ちょっと長い内容のご案内ですが、是非お付き合い願いたい。私の健康運動の原点でもあります。

その3

ところで臨床医は本当にたいへんな仕事である。寒い夜中にスヤスヤ眠っているときでさえ、急患がくれば飛び起きる。ひどいときは、一晩に何回も叩き起こされることもある。臨床医ばかりではない。私のように昼間学生を教育し、夜、研究論文を書いている基礎医学担当の医師のところへも、夜中に薬の副作用とその応急処置についての質問電話がかかってくるようになってきた。

自分の家族や恋人が、副作用事故を起こしているとしたら・・・・と思うと他人ごととは思えないからすぐ応答するが、最近では「薬を飲んだあとで、その時は実は妊娠が始まっていたのですが、奇形の心配はないでしょうか?」というような一般のかたからの質問もめっきり増えてきた。正直いって、この種の質問がいちばんむずかしい。

「大丈夫ですよ」

などといってみても、10ケ月後に。

「先生は大丈夫といいましたが、こんな子供が生まれました。どうしてくれますか?」

などといって玄関へ来られては、何度腰を抜かしても間に合わない。そうかといって

「念のために、今回は見送って人工流産しておきなさい」

などといってみても、やはり10ケ月後に

「先生はダメだとおっしゃいましたが、念のために生んでみたら、どこにも異常がない玉のような赤ちゃんでした。先生を殺人未遂で訴えてもいいですか?」

などといって驚かされては、何度キモをつぶしても間に合わない。そこで、そんなことをいわないで、もう少し自分で勉強しておいてくださいな、と言う意味もあって、この本を書いてみた。

その4

私が医科大学の学生のころ、アメリカのB29という爆撃機が日本じゅうに爆弾や焼夷弾の雨を降らせた。[junkie-hightlights color=”red”]このごろの日本人は、砂糖の食べ過ぎ飲み過ぎのせいで脳神経の肥料ともいうべきビタミンB1が抜けてしまったから、物忘れがひどいらしいが、私はアメリカの爆撃は忘れない。[/junkie-hightlights]

[junkie-hightlights color=”red”]そのころ、誰も自分だけは爆弾に当たるまいと思ったが、やはりウンの悪い人にはどんどん命中して無数に亡くなった。[/junkie-hightlights]それと同じように、いまでも、自分の子供や孫にだけは、決して奇形児は生まれないと思っている人がかなりいる。しかし、それは悲しいかな、単なる希望的観測で、現実はそれとはなんの関係もなく、どんどん奇形児が生まれている。

B29の心配は、しばらくないらしいが、今度は奇形弾の危険が滅法多くなってきた。この本が奇形を避ける、ささやかな防空壕の役目を果たしてくれれば、これほどうれしいことはない。私は友人も、かなり戦死している。生き残って30年余りたったいま、せめて、敵に殺された友の分も働きたいと思い、夜遅くまでかかってこの本を書いた。一人でも多く正常な日本人が生まれることを望んで、そして、初めから不幸なハンディを背負って生きなければならない子供とその親御さんが一人でも少なくなることを願って。 戦死した友は、もう還らない。

偉い人たちはあの戦争を「一時期不幸な歴史がありましたが・・・」などといってすませたつもりらしいが、私は決してそうは思わない。戦争は終わっていない。敗戦から無責任時代の到来、そして経済大国の副作用としての消費大国、物資のダブつき。乱用しなければ置き場にも困るほどの薬の過剰生産、世界に類をみない環境汚染は、形をかえ品をかえて日本人自身を攻撃していると私は見るのだ。

焼夷弾が奇形弾にかわったにすぎない。どうして、これで戦争が終わったといえようか。[junkie-hightlights color=”red”]薬による奇形との戦い。私はいま、その最前線のタコツボの中にひそんで、敵の動きを一刻も早く、後方陣地の皆さんに伝えるようなつもりで、この本を書いた。[/junkie-hightlights]私からの通信が途絶えるまでは、まだ生きていると思っていてほしい。機会に恵まれれば、適当な時期にこの本はさらに改訂して、また新しい情報を皆さんに送ることが出来るかもしれない。

以上、私 阿部一理は、田村先生の40年近く前の切々たる心情に感動を新たにするのでした。今、この本が入手しにくいと思いますので、船瀬俊介先生が平成22年に徳間書店から『クスリは飲んではいけない』を出して田村先生の意志を継いでおります。是非ご一読を!!!

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