私たちは、好きで死んだり、けがをしたのではありません。

 終戦の日815日『空襲被害救え運動50年』の記事(中日新聞)が目を引いた。 

以下 篠塚辰徳記者の報告です。 

 

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==民間人補償、国は認めず== 

 太平洋戦争が終結して77年、国は軍人・軍属、遺族に少なくとも53兆円の恩給を支払ってきた一方で、空襲被害に遭った民間人への補償からは目をそらしてきた民間の空襲被害者への補償を求めた運動が本格的に始まって今年で50年になるが、被害者の多くは亡くなり、残された人たちも高齢化が進む。 

 「なぜこんなに立法化の壁は高いのか。だらだらと時間だけが過ぎていく」 

 今月2日、東京都内で開催された「全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)」の集会で。吉田由美子共同代表(81)=茨城県鹿嶋市=が憤った。3歳で東京大空襲を経験し、両親と生後3ケ月の妹を亡くし孤児となった。 

 

 民間の空襲被害者への補償を求める運動は1972年に本格化、法案は翌年73年から89年までの16年間で14回、国会に提出されたが、いずれも廃案となった。 

 

「戦争中は軍人らと違い、国は民間人と雇用関係がない」というのが政府の主張で、 

全国空襲連の人たちは 

「『戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない』という受忍論が透けて見える」と批判する。 

 2010年、東京大空襲訴訟原告団を中心とした全国空襲連が結成されると、翌年 

超党派による国会議員連盟が発足した。これまで故鳩山邦夫元法相や河村建夫元官房長官が会長に就き 

「空襲で体や心に障害を負った人への一人50万円の給付」などの法案の要綱をまとめた。しかし、与党内の調整が進まず、その後も法案は10年以上、国会に提出されていない。全国空襲連の蒲生真紗雄事務局長は「今秋の臨時国会か来年の通常国会が正念場になるだろう」と見通しを語る。 

 遅々として進まない国による補償に対し名古屋市、愛知県岡崎、津島、稲沢の各市、浜松市は独自で補償してきた。例えば、名古屋市は戦時中、市内や市外で空襲や艦砲射撃により障害を負った市民を対象に10年度から年額26,000円を支給。18年度に同37,000円、21年度に同100,000円に増額した。浜松市も年額25,000円を支給している。 

 7歳で名古屋空襲に遭い、自宅を失った森下規矩夫さん(84)=愛知県春日井市=は家族とも無事だったが、友人の妹が神戸空襲で顔をやけどしたという。 

「国が民間人にもきちっと補償をするべきだ。戦争でけがをしたのは軍人だけではない」と話した。 

 

==原点は故杉山千佐子さん== 

 50年前、民間の空襲被害者への補償を求める運動が本格化する原動力になったのは、名古屋空襲で左目を失明した故杉山千佐子さんだった。2016年9月に101歳で死去するまで、名古屋を拠点に立法化のために奔走し、運動を全国に広げた。 

 

==名古屋拠点立法化へ奔走== 

 杉山さんは1972年、57歳で「全国戦災傷害者連絡会」を結成。 

 

「国が軍人軍属、遺族だけに補償し、民間人を無視するなんて、こんなばかなことはない」という思いがあった。 

 

 岐阜県出身で名古屋大医学部の研究補助員だった杉山さんは45年3月、29歳の時に空襲で負傷した。左目の失明に加え、右目の視力も落ちて職を辞めざるを得ず、化粧品のセールスや大学の寮母などで生計を立てた。 

 運動は新聞を通じて賛同者を募り、全国に広がった。一年ほどで会員は800人近くに達し、車いす生活になっても国会を頻繁に訪れ、陳情や請願を繰り返した。全国空襲連が結成されると、顧問に就任。空襲被害者のシンボル的存在として、100歳を超えても運動の先頭に立った。 

 杉山さんを長年取材した元中日新聞記者の岩崎建弥さん(81)は「日本という国を信じ裏切られた憤りを抱えていた。怒りや悔しさ、多くの支援者とのつながりが杉山さんの原動力だった」と振り返る。 

 杉山さんは亡くなる約1ケ月前、こんなメッセージを全国空襲連の集会に寄せた。 

「私たちは、好きで死んだり、けがをしたのではありません。(中略)私たち民間空襲被害者の訴えのどこがおかしいのですか」 

 

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阿部一理 記 

 補償を明らかにすることで、戦争がいかに高くつくのか、あぶり出されてきます。『原発』もそうです。 

高くつくのは止めることです。 

 

工藤洋三さんの写真集『日本の都市を焼き尽くせ!!!』(入手方法は前回に記載)は、涙無くしては見られません。逃げまどう民間人に文字通り「雨あられの焼夷弾」。それが日本の各都市を米軍は、「丁寧に」焼いて行った記録です。 

 文中にある通り、「国は空襲の被害者に補償をしようともしません」補償もさることながら、こうして責任を問うことが、次の戦争をさせない原動力になると思うのです。 

 

 本当に戦争しか外交手段がなかったのか、まして真珠湾攻撃も「させられたのではないか?」との説が出てくるに至っては、死んだり殺されたりした人達は死んでも死に切れません。 

とにかく『戦争』は理不尽です。 

 

太平洋戦争では日本人だけでも約310万人が死んでいるのです。 

 こういう切り口から『戦争』を問い直すのもありかな、と私は思います。 

原発の事故も国が認めたのだから、被害者救済は全て国が責任取ると言うことだと。経済的にも高くつくことがハッキリして「原発の電気は安い」は誤りだったと分かります。 

 

病死も事故死も災害死も戦死もイヤです。 

対策に知恵を絞りませんか!!!! 

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