1日のうちどれ位、いのちについて考えますか?

 国際ジャーナリスト堤未果さんの書物『食が壊れる』(文春新書)を、ここ数回にわたって紹介させて頂きました。 

 

 令和5118日 有機農業の実践者の集いで、堤さんの夫君川田龍平さんの『龍平:生き抜く勇気を』(高文研発行、900円税別)を買ってきました。 

 川田さんは、19歳で実名を公表し「薬害エイズ裁判」の原告となり、歴史的和解を勝ち取り、2007年参議院東京選挙区にて当選。現在3期目。スローガンは「いのちを守る国へ」です。 

  

 この書籍で、お二人の結婚のいきさつが明かされていて、とても感動致しました。 

是非 共有させて頂きたいと思います。書籍の中から 

==川田さんの「ジャーナリストと結婚へ」== 

==堤さんの特別寄稿「未来は変えられることを教えてくれた夫へ」== 

をお読み頂きたいと思います。 

 

  

◆「ジャーナリストと結婚へ」 

 彼女の名前を最初に知ることになったのは、2007年のとてつもなく競争の激しい選挙の闘いの中だった。母親が一冊の本、ある国際女性ジャーナリストが書いた『グランド・ゼロがくれた希望』(堤未果著、ポプラ社、2004)をくれた。彼女の著書を読んだ時、何かピンとくるものを感じた。母に連絡先を聞いてもらい、何とか会う約束を取りつけた。 

 

 彼女の本に出てくる「グランド・ゼロ」は2001年9月11日にニューヨークで起きた同時テロで倒壊した世界貿易センターの現場だ。彼女はあの悲劇を現場で体験し、PTSDに苦しんだ。しかし、彼女は人間のいのちについての深い洞察、人間性に対して強いブレない信念を持って本を書いていた。 

 

 本を読んでいて「僕らはなにか似ている」と直感した。2007年の最初の彼女とのランチデートで、そのことがわかった。長く生きられないと思っていた自分は、結婚して家庭を持つことなど夢のまた夢とあきらめていた。しかし、私は2回目のデートでもう結婚を申し込んでいた。 

 

 彼女は私の目をしばらくじっと見て、そして言った 

「結婚するなら条件があるわ。約束して、1日でもいいから、私より長生きするって」。 

 そして彼女はこう付け加えた。だって、未来は変えられるもの 

 

 私は絶句した。それまで、私が短命だという前提で接する人は多くいても、そんなことを言う人はいなかったからだ。あの頃、インタビューされるたびに、私は新聞記者たちに「長くは生きられない」と言っていた。 

私は彼女に約束した。「1日でも長く生きて、あなたを守ります」と。 

 

 あれから14年。今では私は家でよく笑う。私の免疫数値は、近年の医薬品の性能の向上のおかげで着実に上がり、今では何と主治医より高くなっている。 

 

 気がつけば、彼女と出会う前の、「長く生きられない」という私の口癖は、 

「これをやり遂げたいから、自分は長生きする」に変わっていた。 

 

彼女は、妻として私の免疫を上げる食事を作ってくれたり、議員の仕事を一生懸命支えてくれているけれど、彼女からもらった一番の宝物は、「長生きする理由」をくれたことだ。 

 彼女と出会って私は、人災の犠牲者であるけれども、それに意義付けするのは自分なのだと気づくことができた。彼女の言霊(ことだま)が、私の人生のギアを入れる力になった。私はもう決して「長く生きられない」と口にしない。彼女にした約束は、私の人生に光を灯した。今私たちは猫二匹とともに暮らしながら、沢山の子ともたちのために希望ある社会を残そうと、一緒に頑張っている。 

  

======中略===== 

 

  

未来を変えられることを教えてくれた夫へ 

 みなさんは、1日のうちどれ位、いのちについて考えますか? 

 

 出会った頃の龍平さんの口癖は「どうせ自分は長く生きられない」でした。 

 だから結婚を申し込まれたと時、こんな条件を出してみました。 

 「私より、1日でも長生きすると約束して」 

 それを聞いた彼は、ショックの表情を浮かべてしばらく黙り込んでしまったが、ふうっと長いため息をつくと、私の目をまっすぐに見て、はっきりこう言いました。 

「約束する。1日でも長く生きて、あなたを守る」 

 その瞬間、遥か彼方、水平線の向こうのもっとずっと先まで、未来が広がったように感じたことを、今もよく覚えています。 

 あとのことは天にお任せしよう。そう思いました。 

 

 すると不思議なことに、結婚してから、免疫を表すCD4数値がぐんぐん上昇、「僕より高い」と苦笑しながら、主治医の先生は首を傾げていたそうです。 

 言霊には、力があるのでしょう。 

 不安がなったかと言えば嘘になるけれど、次にやりたいことばかり話しているうちに、いつまで生きられるかという言葉は、いつの間にか私たちの日常から消えていたのでした。 

 

 10歳で感染を知らされ、辛い治療に耐え、19歳で同じ苦しみを子ども達に味合わせたくないと実名で国と闘った彼は、今度はその内側から、法を通して日本をいのちを守る国にしたい、と張り切っていました。 

 でも政治家の妻になって初めて知ったのですが、そこには厳しい壁があったのです。 

 国会では、一部の人だけ良い思いをする「今だけ金だけ自分だけ」の法律はすぐ決まるのに、本当に国や国民のためになる法律は、滅多に通りません。 

 就任直後に、薬害撲滅のために作った「臨床研究法案」は、何度も勉強会を開き、専門家に相談しながら練り上げ、与党をはじめ各党議員にお願いに回るも、後一歩のところで政治的な力に阻まれ振り出しに戻るという、側から見ても気の遠くなるような、長い道のりでした。 

 その地道な努力がようやく実を結び、晴れて法律になったのは、何と10年後です。 

 あの日、本会議場の檀上で、法案成立に協力してくれた皆さんに泣きながら頭をさげる夫の姿を見た時、本当に胸がいっぱいになりました。 

 

 そしていま、安全な食べ物で子ども達のいのちを守るために、仲間と作った「ローカルフード法/条例」を成立させようと、あちこち走り回っています。信じて動き続けたことで3,000人の仲間が集まり、厚生省を取り囲んだ薬害エイズ事件の時のように、国会の動きは遅いけれど、地方を中心に、賛同の輪が静かに広がっているのです。 

 

 あきらめさえしなければ、未来は限りなく未知数になる。 

 

 19歳のあの時から、沢山の人たちに支えられて、夫が体現し続けてきた、世界共通のこの法則に、弱い私は何度助けられ、背中を押されて来たでしょう。 

 そのことを、薬害エイズ事件を知らない全ての子どもたちにも伝えたい。そう思っていたら、龍平さんの恩師である奈良勝行先生と柏村みね子先生、翻訳・校閲のサラ・ブロックさんと、出版社の飯塚さんのおかげで、こうして世に出ることになりました。何日も真剣な議論を重ね、四半世紀の歴史の中から、今から照らすいくつもの光る瞬間を掬い取って一冊の本にするために、日夜尽力して下さったこと、この場を借りて深い感謝を捧げます。 

 

 そして何よりも、あの日の約束をちゃんと守り続けてくれている夫に、 心からのありがとうをこめて。 

  

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阿部一理 記 

『思考は現実化する』は真実か否か、の議論がありますが、両方とも本当だと思います。 

 

 思いの強さが環境や時代、背景によって、そう単純ではないからです。 

 思いが、言葉が変化してから『免疫力』がドンドン上がった話は、とても示唆的です。 

  

37兆個の細胞は 

『あなたの言葉を聞き、思いを感じている』 

『信念は細胞を変え、人生を変える!!』 

(ブルース・リプトン著「思考のすごい力」PHP出版) 

  

まさに、そのことを証明している話だと思えたのです 

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