三重苦の聖女へレン・ケラーが「私より不幸な、そして偉大な人」と語ったと伝えられる中村久子さんのことをご存知でしょうか?
久子さんは、明治時代、文明とは程遠い岐阜の貧しい片田舎で生を受け、2歳から3歳にかけ、「脱疽」のため両手両足を切断するという悲運に見舞われました。
食べるものにもこと欠く環境の中で手足のない状態で生きていくというのは、いわば泥沼の中で生きていかざるを得ないような状態です。
19歳のとき、娘盛りの久子さんは、見世物小屋に身売りし「だるま娘」として、人の目にさらされる生活を送ることになります。
そんな境遇の中にあっても、筆舌につくしがたい努力を重ねて、泥沼の中で蓮の華のように輝いて生きた女性「中村久子さん」
手足のない状態というのは、泥のような状態だと思っていた久子さんはある時、「泥は“悪”だとばかり思っていたが、そうではなかった。泥があるおかげで、自分は蓮のように花開くことができたのだ」という境地に到達されたのでした。
欲しいものは何でも手に入る現代社会の私たちから見れば、久子さんの生活は「何もない」といってもよいくらいの悲惨なものでした。
しかし久子さんは、ある時、自分の心境を「ある ある ある」という詩に託して表現しておられます。今おかれている状況を、単に否定するのではなく、この現実をしっかりと受け止め、蓮の華のように美しく咲く道を探ると、そこに新しい人生が見えてくるように思うのです。