平和を祈る8月6日、9日の原爆の日が、またやって来ます。原水爆禁止を言うが、あれはまるで『金魚売り』のような風物詩と言ったのは、あるナガサキの被爆者の自嘲的な言葉だと『死の同心円』(講談社 秋月辰一郎著)で読んだことがあります。その著で秋月先生は、257ページ以下に、こう記しています。
原子爆弾については、私は年ごろに遠慮がちに話さねばならなくなっている自分を感じる。私だけではない。広島の人も、長崎の人も、一片の歴史的事実をとして忘却され、消失されてゆく原爆の被害について、次第に口が重くなり、ともすれば黙しがちになっている。いったいそれはどういうわけだろうか。
ヒロシマとナガサキの事実が、忘れられてゆくのを悲しみ、いきどおって、私の心はふるえる。それだけではない。長崎原爆の実態が、はじめから知られてはいない。正確に調査され、記録されていない、という不満が私をいらだたせるのである。被爆の直後から、これを知らせまいとする、また詳しく調べさせまいとするなにかがあったのではないだろうか。
[junkie-hightlights color=”red”]さらにいうならば、ヒロシマで二十万人以上の人々が焼けただれた十六時間後、トルーマン大統領が、「日本はパール・ハーバーの何十倍もの報復をうけた。これは原子爆弾である。この期におよんでもなおポツダム宣言の受諾を拒否するなら、有史以来最大の破壊力を持つ爆弾の雨が引き続き日本人の頭上に降り注ぐだろう」と声明したことも、私たちには知らされていなかった。要するに、原子爆弾というものは、終始私たちには知らされず、歴史の流れの中にぼかされてゆくのである。[/junkie-hightlights]
前に書いたように、原子爆弾被害調査団が長崎にやってきたのは、被爆後四十日経ってからのことである。絶対に埋めることの出来ない四十日間の空白が横たわっている。進駐してきたアメリカ軍の専門家たちは、自らが落とした原子爆弾のむごたらしさに、彼ら自身眼をそむけたが、そのときもすでに数十日が経過している。
やがて、いわゆる科学的な調査報告ができあがった。原爆症による死亡者が何年後には何パーセントになり、白血病はどう変わったなどという報告書は完成した。しかし、人間の運命についての調査はついになされなかった。
[junkie-hightlights color=”red”]長崎では『白い夾竹桃の下に』という殉難学徒の手記が出版され、『長崎精機原子爆弾記』という鬼気迫るレポートも出版されたが、ともにいつの間にか絶版となっている。「医学的な検査はよいが、原爆について語るのは好ましくない」というGHQの管制が、しだいに浸透していったからである。[/junkie-hightlights]
永井隆先生の『長崎の鐘』は二十四年に刊行されたが、GHQから「そのまま出版してはいけない」という注文がつけられ、「マニラの悲劇」をいう連合軍総司令部諜報課が作成した一文が、抱き合わせになっている。
以上 転載終わり。
「ヒロシマの原爆はウラン型」「ナガサキの原爆はプルトニウム型」プルトニウム型の方が被害は深刻だとは、アメリカも知っていた。アメリカはどうしても二種類の原爆を実験したかった。その批判を避けるためにも、パール・ハーバーの奇襲は、宣戦布告の前に攻撃させて『日本は史上最も悪辣(あくらつ)な国』であるとの烙印を押し、後日の原爆の悲惨さの批判を予め封じる作戦をたてて実行した。敵ながら、真にアッパレ!!しかもこれは日本の上層部に味方する者がいなかったら出来ない作戦であった。とモノの本で読んだことがある。
アメリカの日本大使館が宣戦布告の文章を、タイプライターで打って届けるのに、タイプライターの調子が悪く思わぬほど手間を取って、開戦に間に合わなかった。と海軍の米内光政の回顧録にあった。と記憶しています。今にして思えば、これも出来レースではなかったのでは?
[junkie-hightlights color=”red”]さて、そのナガサキ型原爆6000発分のプルトニウム【47t】が日本に保有されています。
日米原子力協定が、この7月16日で30年の満期を迎えて自動延期となった。平和利用の目的で保有しているのだが、ほぼ24時間で原爆に転用できる技術を日本の防衛省はもっていると言われています。プルトニウムは減らすには、日本政府は原発で使う『プルサーマル発電』を挙げているが、この方法が使えるのは、再稼働した9基のうち4基だけ。1基で消費できるのは年0.5トンにとどまる。計算上約100年かかることになります。[/junkie-hightlights]
その間原発の恐怖と共存し。サウジアラビアをはじめとする世界の諸国が日本に倣えとする怖れもあるのです。結局、原発を動かし続け、プルトニウムもまた増える。可能な限り、原発依存度を低減しなかったら地獄への道をまっしぐらになってしまうのは、プルトニウム1つ取ってみても明らかです。もう一度、秋月先生の魂しいの叫びを読んで欲しい。日本中の人に是非読んで頂きたい一冊です。最終の262ページにこう結んでいます。
[junkie-hightlights color=”red”]せめて、少しでも私たちの手で、原爆を知り、その記録を残して置きたいと思って、私たちは「証言の会」をつくった。ある老人は、原爆資料を集めなければ、といって一枚の瓦を箱に入れて、大切に保存している。ものを書くこともできず、ときどき口の中で同じことを繰り返ししているだけだが、老人の死に寄って、この証言を世の中から消し去ってしまってよいものだろうか。アメリカもソ連も、莫大な核兵器を貯蔵し、そのほかの核保有国は、いずれも誇らしげに実験をくりかえす。核兵器を積んだB52や潜水艦が、私たちの周囲を動き回っている。賢くて愚かな人間は、あの八月九日からぜんぜん変わっていない。悲しいことに、同じ過ちをくりかえそうとしているである。あれから、とうに四半世紀が過ぎたというのにー。[/junkie-hightlights]
注釈)『死の同心円』(税別 1600円)は2010年6月、長崎文献社から再販されました。
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