寒さ ひもじさ 厳しさ

親友 M氏(名古屋市を中心にユニークな塾を経営なさっている)から、サッカー・ワールドカップに関連してスバラシイご意見を頂戴いたしました。  

実は、M氏の今回のサッカー・ワールドカップの3題話のような話が、マクロビオティックの創始者桜沢如一師の遺書と言われている著作と重なったことに驚いた次第です。 

そして、その感動を共有したいと思い、今回のブログに取り上げさせていただきました。 

  

 まずM氏の第一話から 

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今回のサッカーに関する考察を認(したた)めました。
今朝(12/7)のサッカー日本代表の対スペイン戦での勝利は、日本国に大きな歓喜をもたらしてくれました。
1994FIFA ワールドカップアメリカ🇺🇸大会の予選となった29年前のアジア地区予選最終戦での敗戦は、ドーハの悲劇と呼ばれ今でも語り継がれています。 

  

当時、私Mは米国テキサス州ヒューストンで駐在員として勤務していましたが、日本にプロリーグが発足し、ブラジル代表ジーコ、ドイツ代表リトバルスキー、イングランド代表メキシコワールドカップ得点王リネカー、イタリア代表イタリアワールドカップ得点王スキラッチなどの世界から多くのレジェンドが来日し、Jリーグに参戦してくれたおかげで、日本のサッカーのレベルが急速に上がり、ワールドカップ初出場が期待されていました。

 サッカーをこよなく愛し、中高大社会人で多くの優勝を経験し、サッカー解説者でブラジル代表候補だったセルジオ越後さんとも2度対戦した私は、日本がドーハで勝利すれば試合会場になったであろう抽選で当たった予選リーグのチケットを数枚買い求めました。
しかし、ドーハの悲劇でワールドカップ初出場の日本チーム観戦の夢は叶わず、その年の春に会社より帰国命令があり、その数枚のチケットは無駄になってしまいました。その時の日本チーム、日本国民の無念さが、今朝、晴らされた思いです。 

  

帰国後、会社から長期休暇を取るようにとの命があり、迷わず訪米。
そして、決勝トーナメントをダラス・サンフランシスコ・ニューヨーク、決勝をロサンゼルスで観戦しました。

 今大会は、ドイツ戦も含め神がかり的ドーハの歓喜でリベンジを味わえた、喜びのグループリーグ突破でした。
予選リーグ勝利の要因は、ドイツ・スペインチームの油断と日本チームのハードワークと国民の勝利へのイメージが優っていたからです。
この勝利は、私たちの日々の生活・仕事に活かせる内容で、
①ブレることなくいいイメージを持って、
日本選手のように
②ハードワークを習性の楽しみとし
③最後まで諦めないことを普通にする仲間でありたいと願っています。 

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以上のM氏に対して 私阿部の返信があり、そして第二話として、クロアチア戦に負けた後のメールが届きましたのでご紹介致します。 

 

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今朝のサッカーは残念でした。
クロアチアの選手たちが、ヨーロッパをはじめとする強豪国と違って、後半になっても動ける理由が分かりました。

 民族紛争の戦火を逃れ生き延びてきたモドリッチ選手は、幼少時代、防空壕にもサッカーボールを持参していたそうで、YouTubeTwitter で人気のわが社で治療に来てくれる一聖さんがお弟子さんに言われるとおり、生死の経験の優位性・必要性、それを経験した人々にとって走る辛さは何ともありません。
また、PK戦での彼らの落ち着き、キーパーの直感力の鋭さなどを見ると生死を経験した人に共通の悟りに近い人でないと出せない力を秘めていました
 彼らを打ち破るには、貧しくて子沢山の末っ子だった、現在、沖縄のチームで活躍している小野伸二選手のような一部の選手を除き、練習会場・試合会場への親の送迎付きで育った日本選手には至難の業です。 

2ヶ月間のオーストラリア出張の折、ある学校の放課後、体育館を借りて塾を経営するベトナム人教室を訪れました。
足を踏み入れた途端、50人程の子どもたちが一斉に立ち上がり、
Good afternoon, Mr. M‼️
と挨拶され、彼らの規律・リスペクトに驚いたことを思い出しました。 

 当時、白豪主義の色濃く残った白人社会で生き延びるために、ベトナム人がオーストラリアに住む日本人の10倍ほどの学習量をこなせる理由を、同僚が経営者にしつこく繰り返し尋ねると、やっと、悲しい目をして、
「戦火の続いたベトナムでボートピープルとして逃れてきた私たちは、食べ物・飲み物がなくなり、生き延びるため、先に亡くなった人を食したり、親が自分の手を切って子どもに食べさせる経験をしました。その時の苦労からすると、長時間の学習など何ともありません。」
と答えてくれたそうです。
 余談ですが、ベトナム戦争も他の戦争・紛争同様、米国をはじめとするある人たちの自作自演で勃発し、彼らの戦争による利益優先・民族浄化の犠牲が多くの不幸を作り出している事実を多くの人が知らなければなりません。

サッカーに話を戻しますが、子どもを立派に育てるには、自然界の動物同様、 
①寒さ 
②ひもじさ 
③厳しさ 
が必要で、選手育成と同じです。 

 幸いにもこの日本社会には、自分を律して挑戦する機会を作ってくれる古語にもなっている受験戦争(笑)が、韓国・中国ほどではありませんが、まだ、残っていますので、子どもの育成に役立っていることは間違いありません。
 これらを子どもたちに経験させることが、今後の日本代表チームの育成、日本人の育成の要になると信じています。 

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 私阿部の感想 

 マクロビオティックの創始者桜沢如一師は、食を正すことが出来ない多くの人の意志の弱さを嘆いて、その遺言ともいわれる『意思教育50年の実験報告』と言う小冊子を晩年に発刊されました。 

今私の手元にその書籍がないので正確ではありませんが 

 

『寒さ、ひもじさ、厳しさを与えなければ強い意志の人間は育たない!!』 

 

と悲痛な叫びの文章が心に突きささりました。 

 

そして『貧しきものは、幸いなるかな!!』 

 

と強い意志が育つ条件が整っているのだから・・と。 

 今回のM氏の文章にも震えるほどの感動を覚えました。 

それでは最後に第三話のメールをご紹介致します。 

 

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森保ジャパンでは、pk5人とその順番は自己申告制だったそうです。
延長を終えて
「誰が蹴るっ?」
という森保監督の声‼️
5分間の沈黙後、
「私が蹴ります。‼️
と最初に手を挙げたのが、今年度の年棒が66000万の南野拓実選手、
後、同17500万の三笘薫選手、5800万浅野拓磨選手、21000万の吉田麻也選手と続きました。

 一番に手を挙げた南野選手は、森保Japanpk戦が申告制ということは知らなかったそうですが、そこで手を挙げた男気・勇気がpkを外したことよりも高く評価されています。
5分間の沈黙をする日本選手たちでは、勢いがその間になくなり、勝利の女神は相手チームになびいて行くでしょう。
譲る国民性を持つ日本🇯🇵チームにはこのpk申告制では、事前に知らされていれば結果は少しは違ったでしょうが、勝てないでしょう。
選手たちには、外した時の本人へのバッシング・家族に向けられる陰湿ないじめ・責任の重圧などが頭をよぎったことでしょう。

5分でなく、10秒経って申告者がなかったら、私Mが監督であれば、
①平時の選手の平常心
②延長戦終了時の選手の勢い
③元々、幸運を持っているか
④私の直感
で指名したでしょう。

 日本人は頼まれれば普段以上の力を発揮するもので、特に最初に蹴る選手は、大切で、今回、abema tv で名解説ぶりを発揮した本田圭佑選手やイタリアリーグで活躍した中田英寿選手のような強い精神力と技術を備えた選手を1番に持ってきます。 

今回の代表チームでは、決勝トーナメント1回戦、体調不良でベンチ外になった年棒26000万の久保建英選手を選びます。
 また、引き分けのないトーナメント戦では、pk戦は当たり前のように起こることで、事前の同様な状況でのシュミレーションを含めた相手チームの各選手のpkの癖、ゴールキーパーの弱点などの事前調査準備がやれてなかったか、やっても不十分のように見えました。

まだまだ、日本JPサッカーが世界で勝てるようになるには、日本で歴史を持つスポーツの1つの野球の野村克也監督、落合博満監督のような絶対的な常勝チームを作れる力量のある日本人監督の誕生が待たれています。
高校サッカー界で名監督と名を馳せ、私が高校3年生の時、4回の県の決勝で対戦した長崎県立島原商業高校の監督、後に国見高校で全国高校サッカー選手権で戦後最多タイ6回の全国優勝で多くの日本代表・Jリーガーを排出した小嶺忠敏監督のような指導者が、プロチームに誕生するのももうすぐです。

あっ!!4回の決勝戦の結果は22敗の5分でした。(笑) 

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阿部一理 記 

 以上、日本中が湧いた今回のサッカー・ワールドカップにかこつけて桜沢如一先生の 

『寒さ・ヒモジサ・厳しさ』の教育の重要性に触れて頂きたいと思ったのでした。 

 それにして、M氏の塾の成果は、大手K塾の創立者のお孫さんが通っている、と聞いて、さもありなんと思った次第です。 

 それにしても、甘々の教育は考えさせられます。 

当たり前のことが、当たり前にやれないかと・・。 

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