私 阿部一理が主宰していた『ヤマト食養友の会』の月刊誌『食養の道』(1980年5.6月、合併号:第12号)の巻頭言を43年振りに読み返して感慨無量!!!
昨今の戦争準備のための防衛費の大増額や『緊急事態条項』成立の動きなどの萌芽(ほうが)が、こんなに以前から着々と準備されていたことが分かって愕然とします。
一部抜粋してお届け致します。巻頭言『反戦の誓い』より。阿部一理
************
近頃防衛問題で“タカ派”的発言が目立つ。理由はともあれ戦争は最も愚かなことである。平和や安全は、決して戦いとったりとられたりするものではない。
終戦後35年、私たち日本人は、かろうじて良識を持ち続けてきた。しかし、戦後生まれの若者が国民の半数を超すほどに時が流れると、記憶が薄れてしまうのか「国を衛ることの、どこが悪いのか!」などという居丈高な声が、誇らしげに聞こえてくる。軍国主義復活の兆は由々しい限りである。
過去のすべての戦争は、正義の美名のもとに遂行されてきた。“人殺し”を“聖戦”としてしまうほど、人間は勝手に歴史を捏造できるのである。しっかりと見極めなければ、エライことになってしまう。
私は今、遺書を書くような厳粛な気持ちで、この稿を書いている。
食養に縁を得て、“生命の尊さ”を叫んで八年、私自身の行動も個人の健康問題から、さらに世界平和への道と進んできている。
ボーイスカウトの“戦争学習”の新聞記事を読んで、ついに来たるべきものが来たと、鳥肌が立つ思いも束の間、今後は7月26日、日本青年会議所(40歳未満の二世経営者の集まりで会員約5万4千人)が「日本の安全と防衛」をテーマに『‘80青年経済人会議』を東京で開催。
分科会のあとの全体会議で、
①憲法論議はさておき、平和時における防衛の問題を真正面から問い直し、外国からの侵略に対し、断固応戦する備えを持つ、
➁自衛力強化と国防教育システムの開発などによって総合安全保障体制を確立する
ーーことなどを骨子とする極めてタカ派的提言を採択したのである。
群馬県で開かれるボーイスカウトのキャンプ(8月1日から6日まで、小学校6年から21歳までの若者6千人のほか2千人の指導者などが参加)の動きと軌を一にしているようで不気味である。
以前、兵器製造を手がける住友金属のトップに、戦争待望論のようなタカ派的発言があったことや、昭和56年度政府予算の概算要求について、防衛費を特別扱いして約1割の増強を認めるなど、軍国主義の足音は確実に高くなって来ていると認識せざるを得ない。
先日、埼玉県に住む“心室中隔欠損症(心臓に穴が開いている)の4歳の男の子の相談を受けた。極陰性な食物を多量に摂った報いである。
この中隔欠損症によらず、先天性の奇形を治すのは至難のワザであるのだが、生まれてすぐ食養を実行すれば、治る可能性は大いにある。
私は総合的に判断して「恐らく治る」と申し上げた。そして「この子の病気のお陰であなた方一家は真に救われるかもしれない。心の底から有難いとおもえますか?」という話に涙ぐんでいた若いお母さまは、「もし治ったらどうしますか?」と言う私の唐突な質問に対して適切な返事の言葉を探しあぐねたかのように私の顔を見つめていた。私が「治ったら、同じ病気で悩んでいる人たちのお導きをさせて頂きたい。と言って欲しかったんだヨ」と言うと、やっとコックリうなずいてくれた。
隣に座っていたご主人に向かって私はさらに、「もし日本に徴兵制度がしかれて、赤紙(招集令状)が来たらあなたはどうしますか?」と尋ねた。相次ぐ唐突な質問に答えがない。
「“心室中隔欠損症”で悩んでいる子供を導きたい、そういう子供が再び生まれることのないような社会をつくりたい、との希望は“生命の畏敬”以外の何ものでもありません。私たち食養の道を歩む者が、理由が何であれ殺人武器を手にすることが出来ましょうか。
一方で、病に悩む人を救い、一方で敵を打つということは矛盾も甚だしい。健康問題も平和問題も、根は一つと私はみているのです。戦争の原因は驚くことなかれ“肉食の思想”なのです」といいながら。私はプラトンやルソーやB・ショー翁の反肉食の言葉を思い出していた。
そうは言っても、父や兄たちの戦争加担を私は責めることは出来ない。状況が異常過ぎた。軍国主義的な教育を初めとするファシズムは恐い。私も、桜沢如一師の「無双原理世界観」に出会わなかったら、到底こうして“反戦の表明”をすることなど出来なかっただろう。
それは、我が身ばかりか、家族、親族の名誉、地位、財産、終(つい)には、生命をも脅かされても動じない覚悟がなくては無理だからである。そこで、手をこまねいてはいられない。禾本科の穀物を口にする、という意味を表す文字『和』の人間革命の生理学としての『食養の道』を世界中に宣布することに私は生命をかけてきた。
===(中略)===
「招集令状を破り棄てる」いや、そんなことの必要のない世界が、みんなの愛の力を結集すれば必ず実現できる、と信じて私は生きたい。
********
以上、43年前、36歳の時の誓いの言葉でありました。
毎年8月は戦争のない世界を皆で考えたいです。