「エミール」その1

朝日新聞の読書特集のページに、上野動物園の園長さんが、ルソーの『エミール』を取り上げ、ルソーの言う田舎ふうな野菜を中心とした料理の方が、肉食をするよりもずっと素晴らしいとか、肉食の害と言うのは、食べる人間を凶暴にしてしまうとか、もっぱら動物愛護の点からルソーの思想に強く影響を受け、座右の書となっている。というような事を書いてあったように記憶しております。(昭和54年の春頃)

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以下は、フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソー(1712年~1778年)の「エミール」(岩波文庫)の上巻より、一部抜粋した言葉です。
※子供をめぐる教育論について「学校教育」ではなく「家庭教育」としての内容です。

万物をつくる者の手を離れるとき、すべてはよいものであるが人間の手に移るとすべてが悪くなる。(23頁)

※以下 太文字は阿部一理による。

なにものかになるためには、自分自身になるためには、そしてつねに一個の人間である為には、語ることと行う事を一致させなければならない。

いつも取るべき態度をはっきり決め、敢然とそれを守り、押し通さなければならない。(28頁)

公共教育の観念を得たいと思うならプラトンの『国家篇』を読むがいい。

これは書物を表題だけで判断する人が考えているような政治についての著作ではない。

これはいままでに書かれた教育論の中で一番すぐれたものだ。

子供に乳をやることをやめてしまったばかりでなく、女性は子供をつくろうともしなくなった。それは当然の結果だ。

母親の仕事がやっかいになると、やがて完全にそれを免れる手段を見つけ出す。

女性たちはつくったものをダメにし、絶えずそういうことをくりそうとしている。

そして、人類を増やすために与えられた魅力を人類の害になるようにもちいている。

こういう習慣は、そのほかにもある人口減少の原因とあいまって、来たるべきヨーロッパの運命を予告している。(37頁)

女性の義務は疑う事ができない。

ところが人々は、女性がその義務を無視しているのに同調して、子供を自分の乳で育てようと、他人の乳で育てようと、同じことではないかというような事で議論をたたかわしている。(38頁)

しかし、問題をただ肉体的な面からのみ考えてもいいのだろうか。

子供は乳房と同じ様に母親の心遣いを必要としているのではないか。(38頁)

ところが、母親がすすんで子供を自分で育てることになれば、風儀はひとりでに改まり、自然の感情がすべての人の心によみがえってくる。

国は人口がふえてくる。

この最初の点が、この点だけがあらゆるものをふただび結びつけることになる。

家庭生活の魅力は悪習に対する最良の解毒剤である。

わずらわしく思われる子供たちの騒ぎも愉快になってくる。

父と母はますます互いに離れがたく睦み合うようになる。

夫婦の絆は一層固くなる。

家庭が生き生きとして賑やかになれば、家事は妻のなりよりも大切な仕事になり、夫のなにより快い楽しみになる。

こうして、ただ一つの欠点が改められることによって、やがて一般的な改革がもたらされ、
自然はやがてそのすべての権利を回復する。

ひとたび女性が母にかえれば、やがて男性はふただび父となり、夫となる。(40頁)

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